・・・・・・京都市内の景色Ⅱ
「京都」は、平安時代に平安京が置かれた都市で、室町時代にも足利幕府が置かれました。鎌倉幕府や江戸幕府、安土桃山時代の政権も、ここを都として厳重に警備されました。また、平安京成立後から明治天皇が東京に行幸するまでの約1080年、ほぼ全ての天皇が居住していた都です。日本の主要な都市の中では奈良市や金沢市などとともに、第二次世界大戦の戦災被害を免れた数少ない都市です。このため、古い史跡や町並み、文化などが数多く存在することから、日本で有数の観光都市・国際観光文化都市であり、国内外から旅行客が多い都市です。
特集①・・・梅小路蒸気機関車館(京都市下京区)
特集②・・・むかしの京都(絵葉書でみる)
京都御所の東側に位置しています。1872年に日本最古の旧制高等女学校として創立した京一女(京都一女)を前身とする伝統校です。かつては京都大学進学者数が全国一位だったらしいです。ヘレン・ケラーが演説した講堂があるそうです。歌手の沢田研二の出身校です(卒業はしていないらしい)。
東本願寺は、京都府京都市下京区烏丸七条にある真宗大谷派の本山です。烏丸通りが東本願寺の正面で大きくカーブしている(京都タワーから見るとよくわかります)のは、火避け地(火事からの延焼を防ぐために設けた空き地)の名残りだったと歴史地理の先生が言われていました。
東映太秦映画村は、京都市右京区太秦東蜂ケ岡町にある映画のテーマパークです。
東映の京都撮影所の一部を一般公開したものです。1960年代、映画、特に時代劇が斜陽となり、東映は、撮影所のオープンセットを一般公開し、1975年に「映画村」として開村しました。そして昨年、2011年、大規模な敷地拡張と改装を行い、新たにJR太秦駅からのアクセスが近くなる新ゲートが設置されました。この写真を撮った当日は、太秦の広隆寺を見学の後、午後3時ごろメインゲートから入場し、約1時間ほど村内を足早に撮影しました。閉村間近の時間帯だったため、入場者が少なく、野外博物館の様相でとてもリアリティがあります。
「清水の舞台から飛び降りる」というは「思いきって物事に取り組むときの気持ち」を表わすたとえとして使われます。これは「たとえ」であって、実際に飛び降りる人はいないだろう、と思われますが、清水寺のことが解説されているHP上に、江戸時代に庶民信仰として、飛び降りると願いが叶う、ということが流行し、実際に飛んだ人が多くいたことが書かれています。けど見た感じでは、あんな高い場所から飛び降りれば、確実に死亡するだろうと思うのですが、当時の記録によれば、若い人なら90パーセントの確率で助かる、ということですので、大半は、樹木に引っ掛かって助かったのでしょうか、まるで映画などで空中から地上へダイビングをして助かるのと同じようなシチュエーションですね。
ところで、この舞台で思い出すのは、ATG作品の「金閣寺」という映画のワンシーン、主人公の溝口(篠田三郎)が清水の舞台のあたり(たぶんコマ割りがそうでした)から、下方に見える部屋の中に、男性と一緒に居た生花の師匠(加賀まりこ)が、胸を露わにして異常な行為をしているところを目撃する場面です。何度か清水寺に行ったことはありますが、あの映画のような場面はありえないなぁ、ここから見える家ってないやん、と神聖な場所で思ってしまいます。よほどこの映画が刺激的・印象的だったのかもしれません。
東寺(とうじ)は、京都市南区九条町にある全真言宗の総本山。「教王護国寺」(きょうおうごこくじ)とも呼ばれる。平安京鎮護のための寺院として計画された後、嵯峨天皇より空海(弘法大師)に下賜され、真言密教の根本道場として栄えた。平成6年(1994年)12月に「古都京都の文化財」として世界遺産に登録された。
遠くは鞍馬や比叡山、北山連峰から流れ出た水脈は、北側に2つの川としてあります。東のほうが高野川、西が賀茂川。それらの合流点が出町柳になり、それ以降(以南)を鴨川と呼んでいます。この周辺、今も京都大学にも近いのですが、かつては同志社大学、立命館大学などもかたまっていて、学生の町でした。70年代は学生運動の盛んな場所でした。喫茶店では、岡林信康などと所縁の「ほんやら洞」、『二十歳の原点』の作者・高野悦子さんが通っていた「シアンクレール」など、懐かしい名前を思い浮かべます。またブログにも書きましたが「つだちく(津田蓄音機店)」などもありました。今はすっかり人の流れも少なくなり寂しくなっています。
岡崎公園は、京都市内の東にある美術館・図書館・動物園・ホール・運動場などがある文化ゾーンです。かくいう私は、今から35年前、高校卒業後の1年間、東山二条にある「京都予備校」に通っておりました。つまり浪人時代です。つらい時期でしたが岡崎公園は安らぎの場所でした。
牛さんの頭をなでると良い、と言います。 菅原道真を祀っていることはあまりにも有名で、全国の天満宮の総本山です。
以前は北桑田郡京北町でしたが、市町村合併で京都市右京区になりました。大学のゼミ合宿などがよく行なわれるところです。
有名な映画「蒲田行進曲」のロケでも使われたトロッコ列車の駅は、旧山陰線を利用していて、保津峡谷の合間にあります。現在の保津峡駅は、そこからさらに山手上の方に、渓谷を避けて嵯峨嵐山駅と馬堀駅の間、長いトンネルを掘り、一直線に敷かれた高い場所にあります。紅葉のシーズンは絶景です。
旧三井銀行がありました。その遺構(建物の一部)は、現ビルディングにも使われています。
浄土宗総本山の寺院。山号は華頂山。本尊は法然上人像(本堂)および阿弥陀如来(阿弥陀堂)、開基(創立者)は法然である。法然ゆかりの地に建てられ、現在のような大伽藍が建立されたのは、江戸時代以降である。徳川将軍家から庶民まで広く信仰を集め、今も京都の人々からは親しみを込めて「ちおいんさん」と呼ばれている。
宴会などで京都の中心地の繁華街で酒を飲んだあと、タクシーに乗って北区あたりに帰る際に「加茂川の堤防を北へ六軒通りを・・・」という具合に告げることがよくあります。京都は碁盤の目の道路になっていますが、出町柳から北西方面、北東方面の斜めの加茂川と高野川があります。つまり川沿い道路だけは、四角の通りを斜めにショートカットできる近道になるのです。北区から繁華街へ向かうときも同じことになります。それほどよく使われる道路です。そしてここの桜がまた美しいわけです。よそ見して事故を起こしそうになります。
四条大宮から嵐山までを走る路面電車です。右京区の太秦や嵯峨周辺の住民のみなさんは、京都市バスを利用するよりも、この「らんでん」を使うことが多いそうです。ホントの話。