· 14日 6月 2022
 先週、友人が教えてくれた古書店にふらっと行ってきました。  春一番コンサート(コロナでこの3年ほど開催されてませんが・・・)のある服部緑地公園駅の近く、大阪地下鉄御堂筋線の江坂駅との間の閑静な住宅街の一角にあります。...
 · 01日 4月 2022
 先月は、年度末で、学校では卒業式や終業式が行われておりました。また、本日より年度が変わり、入学式や、会社では、入社式などのシーズンとなっております。そういう場で、来賓より「年年歳歳花相似、歳歳年年人不同(意味=毎年毎年、花は変わらぬ姿で咲くが、それを見ている人間は、移り変わる)」というフレーズを枕にして、お祝いのメッセージを聞くことがよくあります。  このフレーズは、初唐の詩人・劉希夷(りゅうきい)の「代白頭吟」の一節にあります。  いまから約半世紀前、「紅顔の美少年」だった私が(笑)、大学の授業で受けた講義『唐詩概説』(いつも風呂敷に本と出席簿を包んで登壇される小川環樹先生)のテキストにも紹介されていた有名な詩です。そのテキストを、いまだに持っておりまして(なにしろ小川先生のサイン入りですから)、該当のページを見てみると、けっこう長い詩なのです。そして、なんとなくイメージされるこのフレーズ(毎年花は同じだけど人は変わっていくのだ)がメインの詩だというのは、ちょっと違うようです。タイトルに「白頭」という語があるのは、白髪頭のことで「白髪頭の老人は、まことに憐れむものだ」「こんな老人も昔は紅顔の美少年だったのだよ」という言葉が続くのです。白頭を憐れむ、白頭を悲しむ、という詩なんですね。なので、前途洋々で若々しい青少年たちへ、お祝いのスピーチの枕に使う、というのも少し違うかもしれません。せいぜい退官祝いとか還暦祝いの席で、この方も昔は、紅顔の美少年だった、という洒落として使うのが適切かもしれません(「紅顔の美少年」という言葉の出典も、この「代白頭吟」の詩の一節からきているようです)。
 · 16日 5月 2021
 日本人として初めてノーベル賞を受賞した湯川秀樹さんは誰でも知っているかと思いますが、文学部等の出身者なら、さらに、漢字の意味やら語源を調べるための必携書『新字源』の編者の一人・小川環樹先生(1910~1993)を知っているかと思います。小川先生は湯川博士の弟になり、ほかにも小川芳樹(工学)・貝塚茂樹(東洋史)さんも兄弟になるという、学者一家の出なのです。  その小川先生、私の学生時代に、所属する学科の科目ではありませんでしたが、国文学科の専門科目として講義がありました。ミーハーな私は「新字源の小川環樹さんの講義ある!」と、卒業単位にならないことを承知で他学科聴講で登録しました。テキストは岩波書店から出ている『唐詩概説』もちろん小川環樹著です(名著です)。先生は毎回、風呂敷にテキストやらノート類を包んで持ってこられて、教壇で広げ、そして『唐詩概説』に掲載された詩を丁寧に説明していかれます。(一般的にいうところの)面白い講義ではありませんでしたが、かの有名な学者が目の前に居る、というだけで緊張し満足していたし、話される一言一句を漏らすまいと必死でノートを取りました。この講義、国文学科の学生が大半だったのですが、すごく私語が多く(理由はあえて言いません、元首相の失言みたいになりますので)、しかし先生はそのざわつきを気にするでもなく注意することもなく淡々と進められます。そのあたり根っからの学者なんだろうと思ったし、私語をしている学生は、こんな有名な先生が目の前に居るのに知らんのか、気にしてないのか、恥ずかしいな、と自問自答していました。  1年間を終え、最終講義となった日、私は講義が終了するやテキストを持って教壇に向かい、先生にサインをお願いしました(ミーハーです)。そしたら名前を聞かれて、すらすらと「太田君恵存 小川環樹」と万年筆で書かれました。サイン会での歌手とかだったら、握手でもしてもらうところですが、なにしろ大先生ですから「ありがとうございました」と席に戻りました。  その時のサインに書かれた「恵存」と言う語、はじめは挨拶程度の「拝啓・敬具」みたいなものと思っていたのですが、卒業後に辞書で調べたら「座右の書として大切に保存してもらえれば幸いです」という意味だと知りました。はい、私、座右の書としてまでは使えておりませんが、大切に保存しております。
 · 18日 5月 2020
 どなたかがFacebookで、これはオモシロイと紹介していたので、珍しく新本で購入しました(この手のテーマにすぐに食い付く私です)。...
 · 13日 1月 2018
昨年末に親しい卒業生と電話した際、あの江戸川乱歩賞を取った彼(鏑木蓮さん)は、今はどうしているんですか?と聞かれました。その卒業生は私より6つほど年下、そして乱歩書を取った鏑木さんも同じ大学の同期の卒業生でした。彼らは学生時代には知らない同士でしたが、やはりニュースに出た作家として気になったのでしょう。ちなみにその乱歩賞を取ったのは卒業後15年ほど経ってのこととなります。その「今どうしているんですか?」という問いには、私が大学に残っていたから、情報として何か知っているのでは、という期待もあったのでしょう、が、あいにく私としては受賞作の『東京ダモイ』を読んで以降、何も読んでいなかったので、彼には「知らんなあ〜」と応えたのです。 年末にそんなことがあったものですから、少し気になり、年が明けて、初詣の帰り、京都市内の大垣書店で、鏑木蓮さんの著作があるものなのか確かめるべく文庫本の棚に向かいました。そうしたらあるではないですか、5,6冊並んでおりました。もちろん『東京ダモイ』もありましたが、その中に「25万部突破」という帯のある本を見つけました。普段はブックオフの100円コーナーの本くらいしか買わない私ですが、お正月だし、奮発して新本で買ってみるか、という気になり、その「25万部突破」の本を購入したのです。タイトルは『白砂』、奥付みたら13刷目、これは結構ベストセラーだったのかな?。 殺人事件があって、主人公の刑事さんが犯人を追っていくという推理小説です。さてさてこの後はどうなっていくのか、誰が犯人か、とわくわくしつつ、昨日から今朝にかけて、いっきに読みました。もちろんフィクションですが、主な舞台となっている東京周辺の他に、なんと、京都府南丹市美山町が出てくるではないですか!、おまけに私の地元、亀岡の名前も(1回だけ)。さすが我が母校の卒業生だと感心したり、鏑木氏が学生時代に、美山町と大学の交流提携事業ってあったのかと考えてしまったり、親近感を覚えながらの楽しい読書となりました。
 · 26日 4月 2013
本日は、休暇をとり、お寺の奉仕活動をしました。この仕事は午前中に終わり、午後からは、何をしようか思案していたのですが、先日、千本北大路にオープンしたふたば書房で購入した単行本、通勤電車での約20分程度の間でチマチマと読んでいたのですが(昨夜までに90ページ読了)、ここらで謎めいたストーリーをいっきに解消したかったので、コーヒーとブラックガムを援用しつつ完読しました。村上春樹の『色彩を持たない多崎つくると、彼の巡礼の年』です。ボリュームがあったので完読するのに5時間もかかってしまいました。 タイトルのユニークさ、人気作家の新刊ということもあり、話題の本です。前段、主人公の時間軸が前後するものの、後段は推理小説のようにテンポよくなってきて、とても面白く読めました。読めましたが、たぶん読みが浅いので、作者の伝えたかったことが未消化かもしれません(きっと現代社会に対する深~い批判みたいなものがあるんでょうね、けど分かりませんでした)。
 · 27日 12月 2012
 村上龍の短編集『55歳からのハローライフ』、先日の日曜日に亀岡市内の本屋で購入して、その日のうちにマクドナルド千代川店で3編を読みました。そして本日より年末の休暇に入ったことで、朝の目覚め後(この歳になると休みの日でも同じ時間に目覚めます)温かい布団の中で残りの2編、いっきに読みました。...
 · 04日 2月 2012
漫画「黄昏流星群」の面白さ、また作画のリアルさに、結構やみつきになったのが昨年の夏ごろ。そして昨年末に、同じ弘兼憲史の「人間交差点」を、ブックオフの100円コーナーで3冊(1~3巻)買って読んでみて、これまたハマりました。そのあと、いろんなブックオフを訪ねてみるものの、4巻以降が無いんです。それで年明け、いつものアマゾンでチェックし、文庫本の全19巻セットを中古で注文しました(この写真)。 「人間交差点」は、1980年から約10年間、ビッグコミックオリジナルで連載された原作・矢島正雄、作画・弘兼憲史による青年漫画です。当時の時代背景もあって、バブル経済や地上げなどに関する話題がよく取り上げられ、1986年には第30回小学館漫画賞を受賞したそうです。知らなかったのですが、たびたび映画やTVドラマになったようで、確かに漫画で終わらせてしまうのはもったいないほど、人間模様がドラマチックに描かれています。この話の主役は、この俳優に、舞台はここで、という具合に、素人ながらプロデューサー的感覚にしてくれます。 現在、第4巻まで読み進んでおりますが、なにしろ文庫版なために、画と文字が小さく、難儀しつつ楽しんでいます。
 · 06日 10月 2011
先日、全40巻を読破しました。1巻から40巻まで並べたのが、この写真です(なかなか壮観です!)。物語は、だいたい1巻につき2話収録されていますが、3話のこともあるし、ストーリーが長い場合は1巻1話というのもあります。毎回、いろんなシチュエーションで展開しますが、主人公が40代から老人世代の男女であることに変りはありません(以前のブログで書いたとおりです)。そのテーマは、副題の英文タイトル、Like Shooting Stars in the Twilight(直訳:薄明かりの中の流星のように=私的訳:人生の終末を迎える時期に、一光の流星のごとく生じた恋愛物語)にあるように、男女の出会いが起す人間関係を表現しているようです。世代的に自分と同じなので、読んでいて非常に語の中に没入してしまいます。50代の男性の前にいきなり現われた美女、といったありえないようなパターンもありますが、よくあったのが、若い頃(高校時代など)に恋愛した男女が、事情により別々の人生を歩み、ある時に再会し、またあるときは一方が亡くなって、その思いが誰かに託されて届く、といったものです。まったく同じ内容ではありませんが、通して読んだ結果、時間経過によく似た物語が何作かありました(どれとどれ、というのは分かりませんが)。それでも毎回、わくわくしながら読みました。ほんと、面白かったです。
 · 21日 9月 2011
半月ほど前に、JR花園駅前のうどん屋で食事をしました。うどんが出てくるまでの間に、漫画雑誌の『ビックコミック』を手に取ったのです。漫画を見るのは久しぶりでしたが、少しの時間つぶしと、たまたまページをめくって目についたのが「黄昏流星群(たそがれ・りゅうせいぐん)」という弘兼憲史の漫画(劇画?)でした(弘兼さんといえば「課長島耕作」で有名なことは知っていましたが)。読んでみて、なんだかドラマチックな展開に、少し引き込まれてしまいました。家に帰って、この漫画は何なんだろうと思いネットで調べてみたのです。15年ほど前から、『ビックコミック』に連載していて、単行本化されて40冊くらい出ていることがわかりました。後日、近所のブックオフで探してみたところ何冊かが置いてありました。とりあえず3冊ほど買って読んだのですが、主人公が40代~老人くらいまでの男女の恋愛物語でした。そしてある時は、さかのぼること20数年前の青春時代の思い出などが挿入されて中年となった男女が再会する、といったストーリーが展開します。ちょっと泣けるような物語あり、ハッピーエンドなものあり、それぞれにストーリー展開がつくりこんであります。漫画は平面的な「絵」ですが、その物語に入り込むと、テレビドラマにしてもよいのでは、というものがあました。それからというもの、全40巻にはまだ揃いませんが、本屋によるたびに買い求め、そして寝る前に1話ほどを読む、という生活が続いています(今も)。主人公となっている世代が自分と重なり、また「そんなにうまいこと展開しないやろ!」と思うこともありますが、そこはフィクション、ドラマの世界です。さまざまな人生模様、人間関係、世の不条理などが描かれていて、はまっているわけです。英語タイトルが「Like Shooting Stars in the Twilight」というのも気に入ってます。このホームページも黄昏時に輝く星のようになれば・・・・・。

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