東京駅開業100周年を記念したスイカカード、当初、東京駅での販売で終了・完売を目論んでいたものの、予想を上回る購入希望者の殺到で大混乱、結局、通信販売に切り替えたことは、ご存じの方も多いと思います。この騒動により、さらにカードの認知度がアップし、(インターネットによる)通信販売のみ(けど申込者には全員に届ける、結果、プレミア感の下落)となったことで、関西に居る私のようなものも入手機会を与えられました。与えられたからには、それを行使せずにはいられないのが人の性(さが)というものです。ずいぶん前に、申し込んだものの、音沙汰がなかったのですが、本日(忘れたころ)、その払込み票が届きました。さっそく明日、入金してこようと思っております。
若いころから旅(旅行・ドライブ・ツーリング)を重ねるうちに、その写真を撮るようになり、自然や建物(城・モダン建築)に興味を持ち、こんなホームページまで作ってしまいました。...
原爆ドームは、その言葉どおり、昭和20年8月、広島の中心部に投下された原子爆弾によって壊され、骨格と一部のレンガ壁面が残った建物のことを言います。ただし、もともとは広島県物産展示館という建物の名称で、当時の著名な建築家(外国人)の設計した立派なものでした。これが戦争の被害に遭わずにいたら、おそらく現代の名建築として、後世にも残され続けたことだったでしょう。 今となっては「負の遺産」として、その名(原爆ドーム・世界遺産)を知られ、別の意味で後世に残される運命になったのは歴史の皮肉な結果でしょうか。 これは、先日、ぷらっと広島・呉を訪れた際に、立ち寄って撮りました。永久保存に向けた調査・修理中の様子です。
線路が交叉するところ。ここは嵐電の帷子ノ辻駅付近の踏切です。まっすぐ走っていた電車は、ポイントの切り替えによって、別の線へと方向を変えます。人の歩んできた道も、そのようなことは何度もあったように思います。
この写真は昭和53年、今から37年前、大学4年のころの千本北大路を走る京都市電の様子です(アナログ写真をスキャンしたもので、さきほどフェイスブックに掲載したところ、「いいね」や昔を懐かしむ投稿がありました、のでここにも掲載したのです)。...
2001年7月に、勤め先の大学が所属する私立大学協会が主催するヨーロッパ研修に参加する機会がありました。その時の様子などについては、別ページの「ヨーロッパの旅」に詳しく掲載しています。約2週間の旅(表面的には「研修」)は、それはそれは楽しく、同行した方々とも親しくなりました。研修の終盤、こんなに楽しく仲良くなった、このメンバーで、日本に帰ってからも、また会いましょう、同窓会をしましょう、として作られたのが「ポポロの会」でした(我々が訪れたイタリアのローマには「ポポロ広場」という観光地があり、その名前の語呂の良さ、同窓会開催を決めたのがちょうどその時、だったことにより会の名前として決まりました)。この会は、翌2002年の8月、北海道を会場として第1回ポポロの会が開催されたのです。それから、毎年、参加者の地域を全国5つのブロックに分けて、毎年開催しいます。今年は第13回のポポロの会で、先月末、松阪・伊勢を舞台として開催したのです。幹事は名古屋・京都から研修に参加した4名でした。私も幹事の一員として、宴会場の手配などを手伝いました。ポポロの会は盛況のうち終了し、来年度第14回は、熊本県での再会を約束して参加者と別れました。 たかだか二週間程度の旅行が一緒だったから、といって、ここまで、いや、これからずっと、続いていく、このポポロの会の魅力とはいったいなんなのでしょうか。世の中の付き合い(仕事上の付き合いや宴会など)は、えてして打算的になりがちです。職場の上司や部下と一緒に行く際にでも、なにかと、その影響(効果)を意識してしまいます。表面的には、面白くて楽しい会であっても、なにか余計な気分が芽生えます。しかし、このポポロの会には、そんな打算的ないやらしさはあません。純粋に、また、あの時の仲間に会いたいな、一緒に酒を酌み交わしたいな、あの時と同じように、ということだけです。そんな気を使うことのない、シンプルな楽しさが魅力なのかな、と思います。
今年から「八木の花火(通称)」は、「南丹市花火大会」に名称が変わりました。2006年、市町村合併(騒動)の際に、船井郡八木町が、南丹市八木町になり、それでも昔から親しまれてきた「八木の花火」は続いていました。が、今年、やっとというか、とうとうというのか、八木の花火は南丹市のものになりました(その精神といえば大袈裟ですが実態はともかくとして、世間一般への広報面、おおやけの意味として)。行政的には既に編入しているのですが、本来、すぐさま「南丹市の~」にならなければならなかったのに、かれこれ10年近くの歳月が経過しています。この会場に来ていた方々(八木町の人も含めて)は、南丹市花火大会の名称を、すんなりと受け入れていたのでしょうか。 同じようなことは、美山町(南丹市)でも言えるのではないでしょうか。 FBより。
「キングの塔(神奈川県庁本庁舎)」「クイーンの塔(横浜税関)」「ジャックの塔(横浜市開港記念会館)」、この3つの近代建築(塔のある建築)は「横浜3塔」と言われているそうです。この話は、開港記念会館を訪れた際に、ガイドをしていただいた相当なお年を召したご老人から聞きました。その際に、御歳を召してらっしゃるので、かなり説明(とうのか説明内容を思い出すの)に時間がかかり、滑舌もよろしくなかったので、説明の三分の一くらいは聞き取れませんでした。その中で「・・・ここはジャックと・・・窓から・・・見えて・・・」という説明をされて、「・・ええっ! ジャックと豆の木???」なんて思いながら建物を出て、観光地図を見て分かりました。3つの建物には、正式名称のあとに( )書きで、ジャックやクイーンが書かれていました。キングは県庁で、確かにキングの名にふさわしい建物でした。念のため言っておきますが、私は、これから老人になる身ですので、開港記念会館でのガイドさんには、言葉が分かろうと分かるまいと、終始しんけんな態度で、話しを聞かせていただきました。最後に、そのガイドさんは、「私のようなものの話を聞いていただいて・・」と、何度もお礼を言われて、恐縮恐縮、横浜に行かれる方は、ぜひこの記念会館にお立ち寄りください。FBより。
明治5年のレンガ造りの製糸場建築群は、今年の6月、ユネスコの世界遺産に登録が決定しました。決定以降、一目見ようと見学者が詰めかけている、ということはニュース等で知ってははいたのですが、今後、いつ行けるやもしれません、思い立ったが吉日、東京方面に出発する前日に行くことに決めました。決めましたが、富岡ってどこにあるのか、まずその点を明らかにしなければどうしようもありません。インターネットで地理・アクセス方法などを調べ、キップは現地で購入することにしました。東京から片道2時間ほどの行程、群馬県の山間部にあるようです。そして現地に入るわけですが、確かに、すごい観光客でした。ほとんどは団体客のようで、僕のように個人で電車を乗り継いて来た人は、その日が平日で雨模様、台風も近づいている、という状況で少ないように感じました。 ところで、その見学者の多さ、世界遺産の保護、ということがあるのでしょうか、製糸場敷地内は、見学できる通路(場所)が決められていて、全体の3分の1程度、いやもっと少ないかも、の部分しか歩けませんでした。また製糸工場内の機械に、ビニールがかけてあるのも興ざめでした。これなら明治村にある建物内、機械の展示のほうが迫力あるのになぁ、なんて思いました。ただ、まだ世界遺産登録になったばかりです、今後、僕のような感想を持つ人も意見したりすることでしょう、また見学できるコースが拡大されたり、機械類も自然な状態で見られることでしょう。 そして、私は、製糸場を出て、町をぶらぶら歩いていて、観光地化に「いまひとつ」という状態の町並み、モダン建築などに興味を惹かれました。ひなびた蕎麦屋で食べたざるそばとビールは美味しかったなぁ、これぞ一人旅の醍醐味。
昨年度までは、仕事関係の出張が多く、それにかまけて前後の日程で、少し足を延ばして旅をすることができました。ところが今年4月に幼稚園に異動となり、出張といえば京都市内での研修や補助金の説明会、園長会への代理出席等々、ローカルなものばかりで、遠方にはまったく縁がありませんでした。そして、夏休みになっても、なにかと残務があって、ほぼ毎日の出勤、夏休みは取れるのか、と心配していたのですが、先週、思い切って東京方面へ一人旅をしてきました。 1日目は、横浜に点在するモダン建築群の見学、2日目は、群馬県にあって、この6月に世界遺産の登録なった富岡製糸場、3日目は、台風が近づいていたこともあって近場にしようと、両国にある江戸東京博物館と、上野の国立科学博物館の2軒をハシゴ、といった日程でした。このホームページのコンセプト(自分で勝手に思っているだけですが)の一部である「写真」「モダン建築」「博物館」などの素材(もちんデジカメ画像)もたくさん撮ることができて、旅の満足感と趣味の満足感で、当分、ネタには不自由しないかなぁ、と思っている今日この頃です。