著作権の話

2010年ごろから職場で著作権について学ぶ機会が多くあり、それらを他部署の職員にも分かりやすく伝えようと考え、全10回で特定のテーマごとにまとめたものです。

 

 

 

◆著作権の話(1)「新聞記事はコピーしてもよいのか?」

 

新聞に記事が掲載され、友人や同じサークルの学生にその内容を伝えようと思う場合、その記事をコピーして配付した経験はないでしょうか。実は、この行為は著作権侵害となります。

 

著作権法第10条には「事実の伝達にすぎない雑報及び時事の報道」には著作権が働かず、自由利用が出来ることが明記されています。このことを拡大解釈して「新聞のコピーはすべて自由」と思われている方があるようです。しかしここでいう事実の伝達・雑報という内容は、単純に日付や氏名が記された死亡記事や役所の人事異動の記事、催し物の案内など、事実が羅列されているような内容を指します。死亡記事でも、その人の略歴や人柄などが多く盛り込まれた記事になっている場合には、著作権が働くと解釈されます。したがって新聞の記事(紙面)は、立派な著作物ということになります(ただし「社説・論説」については著作権法39条により出所の明示をした上で無断利用が出来ます)。

 

また以前にご紹介しました著作物を教育機関で利用する場合も自由利用が出来る(第35条)ことが明記されていますが、これは授業に使うことが条件となっていますので、それ以外での使用には該当しません。

 

したがって新聞をコピーして利用する場合には、直接その新聞社に許可をもらう(場合により使用料を払う)ことになるのですが、音楽の利用についてJASRACという著作権管理団体があるように、新聞記事やその他出版物のコピーをする場合についても、日本複写権センターという著作権管理団体があります。この団体と契約を結ぶことによって、一定の条件の下でのコピー(複製)が許可されます。ただしこのセンターとの契約をもって、国内のすべての新聞のコピーが可能になるわけではなく、新聞著作権協議会に加盟している新聞社が発行する新聞が対象となります(以下のホームページでご確認下さい)。

 

日本複写権センター

http://www.jrrc.or.jp/

新聞著作権協議会

http://www.ccnp.jp/index.html

次の新聞が対象となります。

http://www.ccnp.jp/contact.htm

 

残念ながら、この中には、地元京都の京都新聞社は加盟していませんので、必要な場合は、個別の交渉となります。

 

 

 

◆著作権の話(2)「日本版フェアユースの意義」

 

今回は現在、著作権を専門にする弁護士・著作権関係団体の間で話題になっている「日本版フェアユース」について、その要点をご紹介させていただきます。

 

フェアユースという言葉を直訳すれば、「公正な利用」ということになります。その言葉の頭に「日本版」とあるのは、既にアメリカなどでは、著作権に絡む判例の蓄積として「フェアユース」という規定が運用されているからです。その「日本版」を作ろうという話題です。

 

著作物の公正な利用、という言葉から、どんな状況が思い浮かぶでしょうか。著作権法では、著作権者への断り無く著作物を自由に利用出来る例外規定が条文に定められています。例えば学校における授業で、著作物をコピーすることは、著作権法第35条により認められています。教育の目的に照らせば、既に存在している著作物(例えば文学や芸術の成果物)を教室内において利用することによって、生徒の知的芸術的好奇心を高め、文化や科学技術の発展に繋げよう、という趣旨がベースにあるのです。その意味から言えば、この教育での利用も、広い意味でのフェアユースということになるかと思います。

 

その他、報道や福祉の利用についても自由な利用が認められ、これらもフェアユース、という括りに入ると思われます。今後は、こういった公正な利用については、細かに法律で事例ごとに決めていくのではなく、大枠の中で認めていこう、権利者の利益を害しないような事は認めていこう、公共の福祉に合致することは認めていこう、というのがフェアユースの基本的な考え方です。もちろん著作権者の利益を損なうような使用(例えば商売に無断で使うことなど)は認められません。それでは、昨今ことさらフェアユースが叫ばれているのはなぜなのでしょうか。

 

実は、日本において著作権が法律で定められたのは、明治32年のことです。その後、昭和45年に全面改正され、現在に至っております。その間、時代の変化に伴って、条文と現実が適応しなくなってきた場合、その都度、条文の追加や例外規定の追加などで補ってきています。土台となっている法律が変らないままで、部分的に対処条項を付け加えてきたため、時代の大きな変化(例えばデジタル技術の進歩やインターネットの普及)に、対応できない状況になり、個別の事象で法律違反になるのかならないのか、といった問題が頻発しています。大手の企業や団体などは、そういったグレーなところがあるなら、安全策をとろうという発想になります。こういったことが、日本人の創作活動や意欲を削いでいることになり、結果的に日本企業による積極的な経済活動をも阻害していると言われています。

 

平成22年1月に著作権法が改正され、インターネットにおける検索サービスに伴う複製(キャッシュや画像のサムネイル=縮小画像)については合法となりました。そんなことは以前からあったので、当然のことでは?、と思われる方もおられるかもしれませんが、その前年度までは、これらの複製を行なう事が、日本国内での改正前の著作権法では違法とされてきました。その為、ヤフーやグーグルの日本版のサーバーはアメリカ国内に設置し、日本人が使う場合でも、常にアメリカにあるサーバーにアクセスするというシステムになっていました。このことは、設置場所が別の場所にあるから良いのか、という問題も孕んでいます。一昨年までは、我々がヤフーで検索して、サムネイル画像で、どこのページを見るべきかを閲覧していたサービスは、実は提供している企業(ヤフージャパンなど)が著作権違反という前提の下で行なっていた、ということになります。

 

これらはひとつの例ですが、技術の進歩があり、世の中の仕組みが大きく変化しようとしているこの時代に、日本だけが、かたくなに法律に縛られて、自由な活動、創造的な営みが出来ないのはマイナスではないのか、というのが日本版フェアユースの議論が起った理由です。

 

現在、文化庁の下に、文化審議会著作権分科会法制問題小委員会が組織され、日本版フェアユースについての議論が進められ、おそらく早々に、何らかの方向性が出るように聞いております。

そうなってくると、前回のご報告で配信しました「新聞のコピー」についても、利用する状態や場合により可能となってくるような例が出るかもしれません。ただし、新聞雑誌の関係団体からはフェアユースについての反対意見が多く出ています。それは権利管理団体の取りまとめている収入(契約金など)は数億円規模で権利者(新聞社や出版社)に配分されており、そういった仕組みは簡単に縮小することが難しいという理屈です。

 

ただフェアユースは、そういった問題だけでなく、写真や映像での写り込み、といった身近な問題も解消されるというプラスの可能性が潜在的に多数あると思われます(これは新聞・雑誌社にとってもメリットが大きいはずです)。いままでなら、メインとなる対象物の背景やフレーム枠内に、別の著作物が写っていた場合、その著作権者に許可を受けるか、またはボカしたり見えなくしたりする必要があったのですが、フェアユースが導入されれば、写り込みといった軽微な複写などは自由に行なえることになるからです。

 

最近の判例の中にも、フェアユース導入のさきがけとなる事件がありました。「雪月花事件」という写り込みの裁判です。もし関心があれば、「雪月花事件」「著作権」といった言葉で検索してみていただければ事件の詳細が説明されていると思います。

以上、著作権をめぐる旬な話題をご紹介いたしました。

 

 

 

◆著作権の話(3)「肖像権とは」

 

今回は人物の写真などを使用する際にいわれる「肖像権」について、どういった権利なのかを著作権との関係でご紹介させていただきます。

 

肖像権は、法律上に定められた権利ではなく、判例の蓄積によって出来上がった権利です(よく日照権などと同じだと説明されます)。したがって法律の何がしかの条文により肖像権が侵害された、といったような言い方はしません。また、どういう行為が肖像権侵害になるのか、といった判断は、すべて訴える側がいて、裁判になり、その判断によって決まります。具体的には「①みだりに肖像(自分の顔)を撮影されない権利」と「②(自分の顔である)肖像を無断で公表公開されない権利」の二つの権利があるとされます。それぞれの権利の持つ側面としては、人格権的な側面と、財産権的な側面があります。

 

芸能人の写真を無断で編集して出版した場合、肖像権のうち財産権的な側面から損害賠償などの訴訟が起されることがあります。人気アイドル・歌手やスポーツ選手などには、その肖像に商品的な価値があるということです。しかし、インターネットには、無断で芸能人のイベントなどでの写真を撮り、掲載しているようなファンのホームページが多々見受けられます。芸能人の所属事務所によっては、掲載について厳しくチェックして、見つけ次第、削除要請をしたり、法的手段に訴えると脅したりする例もあるようですが、軽微な掲載については、いちいち連絡はしてこないことも多いようです。このことは、イベントで写真を撮影されるのは、有名人としては想定すべきことであるし、その写真をファンが公開したとしても、余程悪質(その写真を販売目的で使う)でない限り、芸能人側としても訴訟を起すほどの事態ではないという考えがあるようです。むしろ公開してもらうことにより、無名の芸能人が一夜にして超有名人、人気者になる、といったプラス効果もありますので、肖像権を行使することには、2面性があるのです。

 

一方、我々一般の社会人の場合、勝手に写真に撮られて、何かに利用される、という事件があったとしましょう(特に女性や幼児、小学生などが撮られる事例が多いと思います)。この場合、主にプライバシーが侵害されたとか、個人情報が流された、といった人格権的側面で肖像権を侵害された、という主張をします。場合により、裁判所に訴えることになることもあるかと思います。特に、インターネットが普及した現代社会においては、こういった問題が日常的に起こる可能性が高く、より慎重な処理が求められているかと思います。

 

車を運転していて自動計測器によりスピード違反となる場合、車体と運転手・助手席の搭乗者などもカメラで撮影されます。またスピード違反でなくても、犯罪防止や犯人逮捕などの捜査につかわれるNシステム、東京などの街灯カメラなども、一般市民が本人への断りなく毎日のように写真に撮られています。コンビニやATMなどでも同様です。しかしこれらについても、その行為が肖像権侵害と認定されるためには、被害を受けた、と思った人が裁判に訴えて、やっとそこで侵害したのかしなかったのか、公共の利益を害することになるのか、が判断されることになります。しかし勝算はあまり期待できないと思われます。

 

この肖像権は、著作権とはまったく別のものです(多少の関係性はありますが)。先述したように、芸能人の写真集を作るという場合、写真自体(作品としての写真)の著作権は、撮影したカメラマン(または出版社等)にありますが、それを写真集として出版するためには、肖像権を持つ、本人(=芸能人)の了解を得ておく必要があります。以前、藤田朋子という女優が写真集を販売する直前になり、その内容が気に入らないので出版差し止めの訴えを起したことがありました。財産権的な肖像権を主張して販売中止にしたのだと思います。実際は一部販売されて直後に回収されたと記憶しています。ただし出版契約時に肖像権を主張しない、という条項にサインしている事実があれば、出版社側として堂々と販売することも出来たと思いますが、結果的には、先々のことを考え、わがままな女優に愛想をつかして絶版にした、ということではないでしょうか。もっと深読みするなら、一部流出した写真集が、古書店などで高額な値段で取り引きされている現実をみると、本当のところは話題作りが目的の騒動だったのかもしれませんが、闇の中です。

 

それでは、大学の中で起こり得るような、著作権と肖像権の関わる事例の中で、それぞれの権利があるのは、どういった対象物なのかあるいは人物なのか、整理してみたいと思います。学内で講演会を開催し、それをビデオカメラで撮影・記録する場合のことを例にすると、次のように分けられると思います。

 

肖像権・・・講演者・主催者・司会者・聴衆(写り込む場合)

著作権・・・講演者(講演した内容についての権利者)・主催者や司会者(挨拶した内容についての権利者)・講演者が提示した資料や写真等の著作権者・講演会を撮影したカメラマン(譲渡している場合には譲渡された組織や会社)

 

以上、肖像権と著作権、似ているようで違うものですので、講演会やシンポジウム等、コンテンツ制作にあたっては、撮影する対象の人物側の権利(肖像権)と、写した人、カメラマン、利用者側の権利(著作権)が、将来問題とならないような対応をしておくことが必要と考えられます。

 

 

 

◆著作権の話(4)「入試問題に出る文学作品の扱い」

 

入試シーズンとなっております。今回は入試問題と著作権についての話題をご紹介します。

 

学校教育における複製等の著作物利用については、著作権者に断りなく利用できることがある、という事例をご紹介したかと思います。他にも福祉や報道についても自由利用の条文がありますが、入試問題を含む試験問題についても著作権法第36条に定められています。

 

入試のような場合、著作物を利用するにあたって、いちいち著作権者に了解を得ていたら、その出題者が何を使って問題作成するのかが、事前に分かってしまいます。したがって入試の問題に著作物を使うことは自由に出来ることになっています(一部の著作権者からの異論もありますが、現状としては自由利用は可能です)。

 

ただし自由に使えるからといって、どんな使い方をしても良いことにはなりません。有名な小説の一節を出して、部分的に虫食いにしたような「穴埋め問題」程度なら許される範囲ですが、小説の一節を故意に改ざんしたり無意味な言葉を挿入したりして、どこが間違っているのか、といった設問の場合は許されません。著作権の中のひとつの権利として、同一性保持権、というもの(著作者人格権のひとつ)があり、むやみに著作物を改変されない、という権利があるからです。

 

では、入試が終わり、そこで出題された問題を集めた問題集を出版する場合はどうでしょうか。いわゆる赤本など。この場合は、著作権法36条の適用は受けません。したがって、その問題が大学が作成したオリジナルなものなら、大学側あるいは問題を作成した教員に著作権がありますので、出版社はそのどちらかに許可を得て出版することは可能です。しかし問題文の中に、著名な小説家の著作物が使われていた場合はどうでしょう。この場合には、問題を作った大学と、さらに二次利用している、その作品の著作権者(小説家や著述家)に許可を得る必要が生じます。

 

この場合でも、著作権の保護期間(小説だと作者の死後50年間)の切れた作品(夏目漱石・森鴎外・・・などの小説)なら問題ありませんが、最近の小説で作者が存命中、あるいは死後50年経っていない場合などは、許可が必要になります。数年前、問題集の中に、保護期間の切れていない作家の小説があり、結局許可が出なかった為に、その問題部分だけが空欄となった問題集が出て、話題になりました。以降、赤本などで空欄になった問題集がある場合は、権利処理が出来なかった、という理由によるものと考えられます。

 

こういった問題や訴訟が起る以前には、平気で全試験の過去問題集が発行されていて、今では、そういった時代に発行されていた東大や京大などの有名大学の現代国語の過去問題集が古書店で高額取り引きされているそうです。

 

関連して、それでは、センター入試や国立大学等の入試問題が、翌日の新聞に掲載されることについては、どう解釈すればよいのでしょうか。

 

この例は非常に微妙な問題と思われます。新聞が問題を掲載するということは、報道(著作権法第41条によって利用可能=「昨日このような問題が出されました」というニュース記事)として掲載しているのではないかと思われます。ただし詳細に確認したわけではないので、新聞によって、著作権の問題が生じる部分を省略している場合もあるかもしれません(報道という記事の定義は、こういった試験問題に該当しないというのが一般的な法律解釈です)。あるいはセンター試験や国立大学の入試だけは別物、といった観点もあるかもしれません。このあたりは深く追求できておりませんので、別の機会に譲りたいと思います。

 

 

 

◆著作権の話(5)「出版物の版権とは」

 

本学では論文を集めて研究紀要や論文集を編集・刊行していますが、その際での執筆者と出版社等の著作権が及ぶ範囲はどこまであるのでしょうか。今回はそのような事例をご紹介をさせていただきます。

標題に挙げた「版権」を、版面(はんずら=印刷された面)を制作した出版社または印刷会社が持っている権利、と思っている人が多いのではないでしょうか。「版権」は、著作権の対象が図書に限定されていた明治時代に、その著作権そのものの意味として同義的に使われていたもので、明治32年に著作権法が制定されて以降は公的には使われなくなっています。さらに「~権」といった法律的な効力のある言葉でもありません。現在「版権」という用語は、出版業界などで「出版権」と同義に使っている言葉です(要は業界用語です)。

 

少し話題はそれますが、例えば自作の歌でなくても、歌手には、歌唱という実演を行なった際に付与される著作隣接権があり、さらにそれをCDに録音(固定)して制作した際にはレコード会社、放送した際には放送局に、それぞれ著作隣接権が発生します(それぞれの行為に創作性があるということだと思います)。しかし出版物の場合には、CDにあるような出版したからといって出版物自体にかかる著作隣接権のようなものはありません。細かく言えば、雑誌や新聞のように、小説や記事を、紙面上で創作的にレイアウトして、印刷していることにより、編集著作権というものは生じています。これは雑誌や新聞に掲載されている著作物(小説や随筆や記事)の内容についての権利ではなく、それらを配置した工夫、創作的な紙面に対して付与されるものです。したがって、研究論文などのデータを単純に流し込んで、簡単なレイアウトを施しているような論文集や研究紀要においては、出版社や印刷会社側の著作権(編集著作権)が生じるのかどうかは微妙です。おそらく無いと思われます。

 

そのような事情がありますので、印刷業者はともかくとして、その出版物を販売して利益を受けようと思っている出版社などは、その著作物(原稿)を他の出版社に使われないように、また独占的に出版出来るように、著者(著作権者)と出版契約や執筆覚書などの契約を交わすことが通例になっています。これも逆に言えば、そのような契約をしていなければ、同じタイトルの書物を複数の出版社から出すことも可能です(商慣行的にはありえませんが)。またよくあることとして、大学の論集や紀要に掲載した自身の論文を数点集めて著作集を作ることも可能です。月刊誌に掲載したエッセイなどがそこそこ蓄積したので、それらをまとめて単行本として出版することも可能です(この場合、月刊誌のエッセイにレイアウトなどの工夫が凝らしてあれば、そのまま使うことは出来ません=編集著作権=出版社側の権利)。

 

以上のことより、本学で出版されている『学部論集』といった印刷物について、著作者であるA先生が、自分の論文部分をコピーして配付すること、あるいはそれを別の印刷物に転用すること、については何の問題も生じない、ということになります。当たり前のことのようですが、この行為が正当なことと認定される理屈として先述のような事情があります。

 

以上の話は、何も論文に限りません。例えば広報誌に書いた随筆、エッセイなども著作物ですので、出版した側が執筆者と何の約束もなしに出版している場合、そのエッセイを著者が、別の出版物に利用したり転用したりすることは自由、ということになります。道義的に問題だ、と思うのは、また別の次元の話になります。

 

 

 

◆著作権の話(6)「屋外に設置された美術品の著作権」

 

今回は、対象を大学の外に向けた話題をご紹介します。直接の関係性はありませんが、著作権の例外規定として覚えていただければ、安心してスナップ写真も撮ることができると思います。

 

さて「著作権法」の第46条には、屋外に設置された美術品、建物(著作物としての建物=芸術的価値のあるもの)について、権利者(著作権者)の了解を得ることなく「例外的な無断利用」ができることが書かれています(ただし販売目的で利用することなどを除くことが条件になります)。簡単に言えば、一般公衆の見やすい屋外の場所に「恒常的に」設置されている美術品や建築物を、デジタルカメラなどで撮影することが出来る、そしてそれを自由に利用が出来る、という意味です。

 

昨年の7月下旬、私は、通信教育部の出張で東京スクーリングのお手伝いの仕事をしました。開催場所は、渋谷道玄坂にある貸ビルでした。そして添付したこの写真は、東京渋谷マークシティ、井の頭線渋谷駅とJR渋谷駅を結ぶ連絡通路に設置されている岡本太郎作、巨大壁画「明日への神話」です。ちょうどスクーリング会場への道すがら見ることができるものでしたので、数枚デジタルカメラで撮影しました。

 

もしこの作品が、もう少し小さなもので、美術館などに展示してあるものなら、勝手に撮影することは出来ません。しかし「屋外に」「恒常的に」設置されている美術品であることによって、このように、自分のデジカメで撮影して、そして何人かの人に配布して、見てもらっても構わない、ということなのです。連絡通路は屋内だ、という意見もあるかと思いますが、そこは法律の趣旨からすれば屋外と同等の扱いとしてよろしいと思います。

 

以上のことにより、以下の著作物についても、権利者に気兼ねなく自由に撮影することが出来ます(実際問題として、そこに集まった人たちは、著作権のことを意識することなく、それを背景にして記念撮影したりしていますが)。

 

水木しげるロードの彫像(鳥取県境港市)

ウルトラマン商店街の看板等(東京都世田谷区)

実物大ガンダム(お台場→東静岡駅前)

実物大の鉄人28号(神戸市長田区)

太陽の塔(大阪府吹田市)

巨大写真看板

鬼太郎列車(JR境線)

サザエさんバス(東京都)

ポケモンジェット(ANA航空機のペイント)

 

この例の中でも、例えば「鬼太郎列車」や「サザエさんバス」「ポケモンジェット機」は、常に屋外にあるのか(夜間は倉庫に入る?)と思えるし、また「恒常的な設置」にしては、人を乗せて移動するものであり設置ではないように思えるし、厳密に言えば疑問の残るところです。しかし平成13年7月25日東京地裁判決「はたらくじどうしゃ事件」では、横浜市を走る路線バスの車体に書かれたイラストを「美術の著作物で恒常的に屋外に設置されたもの」に該当するとしました。このことにより「ポケモンジェット」や「鬼太郎列車」も同じ扱いになると想定されるわけです。

 

 

 

◆著作権の話(7)「著作物の保護期間」

 

今回は著作権がいつ消滅する(自由に使えるようになる)のか、といった話題をご紹介します。

 

青空文庫というホームページをご存知でしょうか。国内で著作権の保護期間が終了した文学作品を中心に、テキストデータ化した、誰でもが自由に読めるサービス、いわゆるインターネット上の電子図書館、というサイトです(ここからダウンロードしたデータをPDFにして商品化し、i-Padなどを使って読書するという利用者も増加しているようです)。

http://www.aozora.gr.jp/#main

 

これらの文学作品は、どういった基準で自由利用されることとなったのか、著作権法に基づいて説明いたします。

 

保護する期間については、「著作権法」の第51条から58条の各条文に、著作物の形態ごとに計算方法が明記されています。小説家の名前が明確な場合については、死後50年となっています。また無名・団体名義の場合は公表後(出版されてから)50年です。そして映画については公表後70年とされています。この法律に基づいて、著作権の保護期間が終了した作者から、その権利が無くなりパブリックドメイン(著作権が消滅した状態=公共財産)となるのです。青空文庫の場合、その法則に従って文学作品をデータ化し、公開しています。以下にその関係をまとめました。

 

<著作物の種類>   <保護期間> 

実名の著作物      死後50年 

無名の著作物      公表後50年

           (死後50年経過が明らかであれば、そのときまで) 

団体名義の著作物    公表後50年

           (創作後50年以内に公表されなければ、創作後50年) 

映画の著作物      公表後70年

           (創作後70年以内に公表されなければ、創作後70年) 

 

今から50年前の昭和35年(西暦1960年)以前に亡くなられた方(小説家)の著作物は、平成22年(西暦2010年)12月31日に著作権が消滅しますので、今年、平成23年(西暦2011年)1月1日から、晴れてパブリック・ドメインとなるわけです。

 

以前のメールで、入試問題を集めた問題集を出版する場合(特に現代国語など)には、そこに使われている著作物(小説など)の保護期間が切れていない場合には使えない、または許可をとる必要がある、と紹介しました。入試問題そのものに著作物を使うことに制限はありませんが、それを問題集にした場合が問題、ということでした。しかし赤本や大学の問題集が刊行され、受験生などの目に触れることは、大学側にとって悪いことではなく、むしろどんどん世に出てほしいところです。そういった保護期間の著作権があるばかりに、大学側としても、入試問題には、死後50年以上経過した小説家の作品しか使わない、といった判断をするところも出てくるかもしれません。そうなれば村上春樹さんの小説などは、当分入試には出ない、ということになります。

 

余談ですが、映画が70年と小説などの50年に比べてやや長いのは、アメリカにおいて当初50年だった保護期間が、ディズニー(会社)が期間延長の運動を起して70年となったのだといわれています。この影響により、我が国でも映画については、アメリカに合わせた、とされています。そして現在、ディズニーは、この保護期間をさらに100年間に延ばそうという運動をし、ほぼ認められる公算が高いと言われています。この背景として、ディズニー映画などのキャラクターの著作物が、いかに商業的に膨大な利益を生み出すコンテンツなのかが分かります。著作物を独占的に所有し、出来るだけ長く利益を上げようとする、コンテンツ所有会社のビジネス戦略です。さらにディズニーは、著作権の管理に非常に目を光らしています。少しでもキャラクターが無断で商業利用されたりしている事例があれば、莫大な損害賠償の訴訟を起すことで有名ですし、個人レベルでも、インターネットなどでの無断利用が分かれば、損害賠償を含めた厳しい対処がなされるようです。ブログなどで、プロフィールにディズニー作品のコピーなどを使えば大変な事態となることを知っておいてください。

 

アメリカでは、映画以外の著作物(小説や音楽)も70年となっていますので、日本の文化庁もそれに合わせようとして審議委員会を作って改正に向けた動きもあるようです。実は1年余り前の2009年11月、日本音楽著作権協会(JASRAC)の70周年記念パーティの席上、当時の鳩山由紀夫首相は突然「JASRACは70周年ですから(保護期間も)70周年に延ばすことを最大限の努力をする」と意味不明な祝辞を述べたそうです。

 

http://internet.watch.impress.co.jp/docs/news/20091118_329858.html?ref=rss

そうなれば先述した青空文庫からも、多くの文学作品が一時お蔵入り、という状況になることでしょう。

 

 

 

◆著作権の話(8)「キャンパス内で演奏しているバンドの音楽は?」

 

大学内での音楽著作権について

 

テレビやラジオの番組では、毎日、大量の音楽が使われ放送されていますが、例えば番組ごとに一々著作権の処理をするのが大変ではないかと思う方もおられると思います。実は、音楽等の著作物を頻繁に使うような放送局、あるいはBGMとして1日中流している喫茶店などは、1曲1曲の処理をするのではなく、扱う曲数や放送形態、聴く人数等を算定して、年間でいくら、といった具合に包括的に契約をして、著作権料を払っているのです。テレビ局は、ある意味、どれだけ使っても気にせず番組に音楽を利用できることになります。

 

さて、大学キャンパスでも著作物としての音楽を利用したり演奏したりしていますが、そういった時の著作権の考え方、その処理はどうなっているのかを紹介いたします。

 

いちばん思い浮かぶのが課外活動団体の音楽サークル、例えば軽音楽部やジャズクラブが、キャンパス内の野外ステージや多目的ホール等で演奏したり、学外にあるホール等の会場を借りて演奏をする、といった場合でしょうか。

 

著作権法第38条第1項には「営利を目的とせず、かつ、聴衆又は観衆から料金を受けない場合には、公に上演し、演奏し、上映し、又は口述することができる」と書かれています。つまり「営利を目的とせず無料の場合」には、著作物の無断利用が出来るということです。具体的には、学校の学芸会・学園祭、市民グループの発表会、公民館などでの演奏会やビデオ上映会を行なう際、①営利を目的にせず、②入場無料で、③出演者へ無報酬、であれば、著作権料をJASRAC等に支払う必要はありません。

 

これによって、軽音楽部やジャズクラブなどが、お昼休み時間に中庭のステージで、有名なグループの曲(他人の著作物)を演奏していたとしても、著作権料を払う必要はないということになります。同じように、学園祭などで展示教室内にBGMとしてヒット曲などを流すことも出来るのです(模擬店の場合は少し微妙です)。

 

それでは、学生の音楽団体が、学外で開催する定期演奏会の場合はどうでしょう。この時、活動資金や会場借用料を捻出するために、300円とか500円程度の入場料を設定していることがあります。主催者の学生側からすれば「営利目的ではない」と思うかもしれませんが、「有料」という点で著作権処理が必要になります。つまり著作権使用料が発生します(徴収している金額、会場のキャパシティにより細かく使用料が定められています)。ただし、市内にある本物のライブハウスなどを借りて軽音楽部などがライブ(定期演奏会)を行なう場合については、そのライブハウスがJASRACと包括契約をし、定額の著作権料を払っているという店であれば、利用する学生側に支払いの義務は生じません。このあたり複雑で、現実には、すべての事例が適正に行なわれているのか不明な部分もあると思います。おそらく先輩達からの引継ぎや、借用しているホールの職員の指示により、著作権処理が必要な会場で行なう場合は、面倒ではありますがJASRACへの申請・支払い手続きをしていることだと思います。貸しホールなどでは、会場を使う手続きの際にJASRACへの申請を勧めるところもあるようです。

 

一方、学内の鷹陵館や鹿渓館の喫茶室で流れているBGMについてはどうでしょう。この場合は少し状況が異なります(喫茶店は営利を目的にしていますので)。ここで流れているのは恐らく有線放送だと思われます。この場合は、有線放送会社が著作権処理をしているので大学が著作権料を払う必要はありません(二重払いになるからです)。またFM放送などを流すことも同じ理屈になるので自由となります。ただしCDプレーヤーなどの機器を使って市販のCDに収録された音楽をBGMとして流すことは違法となります。もし喫茶コーナーで、大学独自にCDなどから音楽を流したい、となったら、先述したようにJASRACと包括的な契約をした上で、一定の使用料を払うことになります。キャパシティ、利用者数など、街の小さな喫茶店に比べても、規模が大きいので、結構な料金になるかもしれません。

 

余談ですが、吹奏楽部のようにクラシックやスタンダードな音楽を演奏することが多い団体の場合、演奏する曲の著作権の保護期間(作曲者の死後50年)の切れた楽曲ばかりをセレクトしたような演奏会を開くなら、仮に入場料を取っていたとしても、著作権料は発生しないことになります。ただし最近のヒット曲などを演奏しないので、とても地味な演奏会になるかもしれません。

 

 

 

 ◆著作権の話(9)「図書館でのコピーが違法でない理由」

 

ご存知とは思いますが、本学の図書館の各フロアにはコピー機が数台設置されています。また地域の公共図書館などにもコピー機が設置され、それぞれ必要に応じて利用者が所蔵図書の必要ページをコピーしています。

 

この図書館に設置されたコピー機は、単にサービスとして置いているのではない、というお話を紹介させていただきましょう。

 

学生や教員が、図書館で図書や資料をコピーする場合、著作権法の第30条「私的使用のための複製」により、コピーが出来ると考えがちですが、図書館(という場所)は、この条文の私的利用に該当する場所(家庭内その他これに準ずる限られた範囲)になりません。むしろ図書館のコピー機は、30条の中での除外項目(=私的利用出来ない項目)として挙げられている「公共の場所に設置されている複製機」ということになるのです。

 

その条文に従えば図書館ではコピーは出来ないことになりますので、学習や調査研究活動に支障が生じます。それで著作権法に別途条文を設け、使用目的を明記した上で、複製を認めています。それが同法第31条になります。その中の項目の一つに「利用者の求めに応じ(略)複製物を一人につき一部提供する場合」と書かれており、複製する主体は「図書館」側であることが示されています。

 

しかしながら実際は、利用する学生や教員が自前(セルフ)で行なっています。これは本学に限らず他の大学図書館や公共図書館でも同じ状況です。ただし、コピーをするにあたっては、図書館側が行なう建前(たてまえ)ですから、利用者が代行的にコピーしている、という手続きを便宜的に作っています。例えばコピーをする場合に「利用台帳」に記入してから行なう、「利用申し込み書」に記入してから行なう等です。また設置場所は、カウンター等に近い場所が一般的です(これらは平成15年に国公私立大学図書館協力委員会が「実務要項」として取り決めたものですので法的効力のあるものではありません、紳士協定のようなものです)。

 

また、このコピー機の利用は著作権法の主旨から、図書館の図書に限られます。つまり自前で持参した資料・図書やノートなどを、図書館のコピー機でコピーすることは出来ません。それを行なうことは30条の除外項目になり違反行為となってしまうからです。

 

余談ですが、某県の公共図書館で、30条(私的利用)を根拠に、所蔵図書以外のものもコピーしてもよい、というサービスを始めたそうです(つまり図書館を「家庭内その他これに準ずる限られた範囲」と解釈したわけです)。この図書館側は、著作権法の附則に当面罰則を設けないことが明記されていることも知っていて、もし裁判になり争うことになっても負けることはない、と主張しているそうです。ただし法律的に抜け道があるとしても、大学や公共の図書館が、利用者に誤解を与えるようなサービスを行なうのは、あまり教育的とは言えません。

 

 

 ◆著作権の話(最終回)「職務著作とは」

 

数年前、徳島県に本社のある「日亜化学工業」という会社が、青色発光ダイオードを発明した従業員(研究者)から訴えられ、その企業が得た発光ダイオードによる利益を、その従業員に支払え、という判決がありました。新聞やテレビでも大きく取り上げられていたので憶えておられる方も多いのではないでしょうか。この事件で衝撃的だったのは、支払い額が桁外れに大きく、数百億円だったこと、そして会社に雇われて発明したものでも従業員の権利・利益として認めてもらえるのだ!、ということでした。

 

この事件は、雇用契約、譲渡契約などが複雑に絡んだ結果、上記の判決が出されたのですが、事件以降、同様の研究開発を進める企業にあっては、会社の危機管理や雇用契約などを再点検したことと思います。滅私奉公、終身雇用といった、企業に自分のすべてを捧げる、といった日本の伝統的な思想からは程遠い事件だった、と感じた人も多かったと思います。

 

特許権と著作権は、その定義が違うものですから、同列に考えられませんが、標題の「職務著作」という考え方は、日亜化学事件の「職務発明」と構造的には同じものですので、最終回は、大学で起りそうな事例に注目して職務著作の面から「著作権」を考えてみたいと思います。

 

さて大学で最も身近に生じる著作物とは何でしょう。佛教大学には多様な学問領域がありますが、やはり教員(研究者)が発表する学術論文ではないでしょうか。また事務職員であってもリーフレットなどに文章を書くこともあります。それでは特に学術論文が職務著作である、と認定されるのには、どんな要件が必要になるのでしょうか。

 

実は、私は著作権の考え方を深く知るまでは、次のような状況下での論文は、職務著作(=雇用主である大学側に著作権がある、または何らかの大学側の帰属が生じるもの)ではないのか、と思っていました。

 

1、大学の○○学部所属の「肩書き」を明記して書いた論文。

2、大学から交付される「研究費」を使って書いた論文。

3、同じ学部の教員との「共同研究」で書いた論文。

4、大学の「研究所」の事業や「プロジェクト(論文集)」で書いた論文。

 

などです。

 

しかし結論から言えば、どの論文も、教員の名前が論文の冒頭に記載されていれば、その著作権が大学にある、と主張することは難しいと思われます。すべてそれは論文を執筆した教員に著作権があります。大学の研究費を使って書いたのになぜ?、大学に雇われて大学の施設を使用して書いたのになぜ?、論文を書くためにはあらゆる便宜を大学が払っているのになぜ?、といった疑問が出てくるのですが、著作権法の考えの下では、基本的には執筆者が著作権者です(この点では「日亜化学工業事件」と同じ構図です)。

 

では、書かれた論文が「職務著作物」と認められ、著作権が大学に帰属する、と認定される為には、どういう条件が必要となるのでしょうか。文化庁が執筆し、社団法人・著作権情報センターが発行している『著作権法2010-2011』に次のような要件が示されています。そしてこの要件は、一つでも欠けると成立しません。すべての要件が揃って成立します。

 

法人著作の要件

(a) その著作物をつくる「企画」を立てるのが法人その他の「使用者」であること。

(b) 法人等の「業務に従事する者」が創作すること。

(c)「職務上」の行為として創作されること。

(d)「公表」する場合に「法人等の著作名義」で公表されるものであること。

(e)「契約や就業規則」に「職員を著作者とする」という定めがないこと。

 

以上の中でも、論文を書く研究者に限って考えるなら、要件(d)の項目は一番ハードルが高いと思われます。それは論文を書く、という行為は、教員の専門分野の個人的な成果物ですから、いくらあとがきなどに「協力者」とか「共同執筆者」といった名称で個人名が列記される、という提案が出されたとしても、該当部分の論文の冒頭に、書いた本人(研究者)の名前が掲載されない、という状況は、なかなか理解を得られるものではありません。

 

 

以上、雑文をお読みいただきありがとうございました。

 
 
 

◆著作権の話(番外)「自炊について」

 

今回は「番外編」にしました。と言いますのも、既に第10回(最終回)の原稿がほぼ出来ておりましたことと、あと一つだけでもご紹介したいというテーマがあったからです。実は、第7回の時に著作権の保護期間が切れた文学作品をデジタルデータ化して公開している「青空文庫」を紹介しました。その際、それを読んだT氏より「自炊について解説してほしい」との返信があったからです。先日も出版社が「自炊」支援業者を訴えるという事件がありましたので、ちょうど今、旬の話題です。

 

皆さんの中には「自炊」と聞いて、親元を離れた大学生が下宿で食事をすることと思われる方も多いと思います。最近は、ニュースなどでも取り上げられているのでご存知の方もおられるのですが「書籍を裁断してスキャンし、デジタルデータに変換する行為」のことを「自炊」と呼びます。ネットの掲示板「2ちゃんねる」から発生したスラングのようです。

 

通常、本は書店で購入して読むものですが、近頃では電子書籍と称するものがあります。書店やコンビニ、さらにインターネットを通じてダウンロードして購入し、専用端末(i-Padが有名)などで読むのです。これは正規の販売方法によっているので、まったく問題はありません。

 

数年前、インターネット検索会社のGoogleが、世界中に存在する書籍をすべて電子化する、と宣言して著作権侵害、出版権侵害、といったことで大騒ぎになりました。現在は出版社側と和解して、着々とスキャン作業が進んでいるようです(グーグルブックス・・・・日本の書籍に関してはGoogleも積極的ではないといわれています)。そんなこともあり、電子書籍市場は世界的には、それなりに利用も増えているようです。特にアメリカでは、雑誌や新聞なども次々と電子化され、端末で見る(読む)コンテンツも充実しているようです。日本では、Google事件以降、あまり書籍ソフトが増えていないこともあり、普及はこれからというところです。

 

そんなところ(日本国内)に出てきたのが「自炊」というものです。

 

「自炊」行為は、著作権法の上では、私的利用のコピー(「著作権法」第30条:例外的な無断利用ができる場合)、といった考えにもとづいて生まれてきたものです。つまり私的に利用する場合には、著作物が自由利用出来る、コピーしてもよい、という解釈です。音楽CDを携帯プレーヤーなどに録音して個人で楽しむのと同じ原理になります。同じように、自分で購入した本を裁断し、スキャンし、自前の端末に保存して自分だけが読むのです。キャノンやエプソンのメーカーからは「自炊」に便利な自動読み取り機能付のスキャナーが売られています。また裁断機も、スキャンにセットしやすいように、バッサリ、美しく裁断出来る高額なものが売れています。

 

それで、ここから先が問題となりました。

 

自動読み取り機能付きスキャナーやバッサリ裁断機は、高額なものです。よほどのマニアでなければ、それらの道具を購入して、またそこそこ時間をかけて、電子書籍化するのは面倒だと思う人も多いでしょう。そこに目をつけた人が居ました。本の購入は、各個人にしてもらいますが、裁断からスキャン、データ化までのところだけを請け負います、という業者が現れて、問題になったのです(業者側の言い分としては個人が私的利用の範囲でコピーをしている、その手助けをしているだけなので適法、という理屈)。これまでも映像のダビング代行業者というのもありましたが、結果的には違法と判断されています。したがって、今回の自炊支援業者の行為も、違法と判断される公算が高いのです。

 

ただ、少し飛躍しますが、それでは、本も自前、スキャナーと裁断機も購入し、それら一式を業者に預けて(いわばハウジングして)データ化の作業だけを委託する、というのはどうでしょう。このあたりになると、それでも違法、いや適法になるのでは、といった意見が、弁護士の中でも分かれるのだそうです。ただ、用途は違いますが、テレビ受信機を日本の業者に預けて(預かり費用を顧客が負担)、居住しているアメリカで日本のテレビを見る(映像を送信してもらう)行為について、数年前から争われていて、違法・適法の両判決があった「まねきTV事件」「録ラク事件」でも、最終的には違法という判断が出ているところからすれば、限りなく違法に近い、と言えるでしょう。

 

さらに、今後問題になると想定されるのが、電子化されたデータの行方(ゆくえ)です。先に私的利用でスキャンする分には適法、と書きました。しかしよく考えてみれば、そのデータは、個人が1回(ないし数回)読んで終わるでしょうか。読み終わったら消去してしまうでしょうか?。せっかく時間とお金をかけてデータ化し、作成したものです。その電子書籍をPCのハードディスクに溜め込んで、専用ソフトを使ってマイ・ライブラリー、自前のバーチャル図書館を作る人もいるでしょう。そうなれば、一人だけで楽しむのも面白くありません。他人にも、出来るだけ多くの人にも見てほしい、自慢の電子書籍を読んでほしい、と思うのも自然の流れです。

 

もしバーチャル図書館を、インターネット上で誰でもが閲覧できる状態にしたら、その時点で、複写権の侵害、公衆送信権の侵害など、著作権侵害で逮捕されることになるでしょう。また閲覧する際に会費などを徴収する場合は、さらに悪質と判断されるでしょう。

 

ホームページほどおおっぴらでなくても、データを複数の知人に配布することも違法になります。またウィニーなどの違法なソフトを介在させて流布した場合、ダウンロードした者も罪に問われます。

 

私的に楽しむだけならば何の問題にもなりませんが、データ化したことによって、その後、そのデータを如何に管理していくのか、といったところが「自炊」事件から見える将来の問題だと、個人的には考えます。

 

なお余談ですが、保存した端末のまま(PCの機械ごと)を、他人に譲渡する場合については、違反行為にはなりません。

 

以上、最近話題となっている「自炊」について、要点をまとめてみました。

 

 

 

 

 

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