ブログに書いたものですが、私にとってはメインテーマ、力作なのでページ作って再掲載しました。また辰巳渚さんの言葉も重いです。
とりあえずとっておく、との自身の意向により、とっておいたもの・・・、段ボール箱、組み立て棚に同梱(板状の)発砲スチロール、論文の下書き、手提げ袋、年賀状、歌詞カードのコピー、6年前の職場の新人職員が作ったてるてる坊主、チョロQ、日本最北端到着証明書、幸福行きキップ、平凡パンチ、週刊誌、夕刊フジ、ボーイズライフ、ミュージックライフ、ミュージックマガジン、旅ガイドブック、園児にもらった鉛筆立て、白黒の民具写真、使わないPC、それらの頂点に立つのは、なんといっても、なにやかや「とりあえず」買っておこう、とっておこう、で収集されたCD、LPレコード、シングル盤・・・等々でしょう。
これらのモノが我が家に残存出来るのも、ひとえに住んでいるところが田舎であり、土地や建物・小屋・物置と、スペースの余裕があるからのことであり、例えば東京都心に4LDKの比較的大きめのマンションに住んでいたとしても、これだけのモノを収納するには限度があり、相当のモノを処分しなければ、生活に支障がでることでしょう。亀岡に感謝です。
さて、辰巳渚というライターが書いた『「捨てる!」技術』という本が、ベストセラーとなったのは2000年。当時、私も、その本を買って、なるほど、と思いつつ、読んだ以降も、ほとんど実践できずに約20年ほど経っています(その結果が上述のモノ・もの・物)。
昨日、京都市内からの帰宅途中にブックオフに立ち寄り、100円(税込108円)の棚(文庫本)を物色していて、立花隆『ぼくが読んだ面白い本・ダメな本 そしてぼくの大量読書術・驚異の速読術』という本を見つけました。初版が2001年となっていたので、『捨てる~』のベストセラー後に出されたものです。その最終章に「『「捨てる!」技術』を一刀両断する」という項があり、タイトルからして辰巳氏の同書のことを批判しているのだろうことが想像できました、面白そうなので購入。
帰宅後、その項だけを読了、あの冷静沈着風な立花氏が書いているには少し感情的な文体だと思い、少し違和感がありました。他の章は読んでいないので、どういう流れで、こうも過激な文体(の章)になったのか、不思議だったので、ネットで検索してみました。
本文の内容と併せて整理すると、要は『「捨てる!」技術』が大ベストセラーとなり、それをNHKクローズアップ現代で取り上げ、辰巳氏(捨てる派)と、立花氏(捨てない派)の討論があった(で、その番組内で瀬戸内寂聴さんが「モノへの執着を捨ててこそ出家の道を歩むこと云々・・・捨てること大賛成」と言い出したから話がさらにややこしくなったようです・・・)、番組には限られた時間の中で討論するという制約があり、立花氏は自分の思っていることがまったく言えなかった不満があり、その後、「文芸春秋」に番組で言えなかった事、思いのたけを存分に書きまくり、掲載され、新たに『僕が読んだ~』の刊行が進み、急きょ追加でこの雑誌の記事が最後の章に載り、単行本化(2001年)、その後文庫本化、ということになります。
立花氏は、蔵書や執筆に要した資料は、基本「捨てずに」猫ビルという建物を建てて保存保管しているそうです。が、つまらない本、例えば辰巳氏の同書などは即、捨てます、と書いているところが、なかなか感情的になっています。蔵書のすごい例としては、司馬遼太郎記念館の吹き抜けの壁面すべてに開架されている図書6万冊が思い起こされます。
この立花氏の主張などについても、ネット上では、どっちもどっち、そこまで論破するほどのことかと、やや冷ややかな意見が散見できます。私も、確かに立花氏が本気で怒るほどのものなのか疑問もありますが、しかし基本的に私は立花氏の立場を支持するところがあります。
少し話が逸れるかもしれませんが、生命保険に入っている方も多いかと思います。特約として入院給付や手当などが付いていて、生きている時の為に利用できるものもありますが、基本的には、その人が死んだ時に、その親族に数千万円の保険金がおりる、というものです。毎月毎月、その保険料、数万円を払い続け、自分が死んだ時に家族が路頭に迷わないように願って、日本人の家意識の永続性を巧みに使った商品なんではないのかと、私は少し懐疑的です。
この辰巳氏『「捨てる!」技術』の中に、次のような話、考え方が出てきます。
「記念や思い出など、特別な感情がくっついているモノ。これがじつは多いのだ。写真、アルバム、プレゼント、年賀状(略)母親手作りの洋服、子どもが使わなくなったオモチャ・・・これらを聖域にすべきでない、それはあなただけの価値にすぎない、アンタッチャブルだと思っているのは、じつは自分だけ、しかし、あなたが死ねばみんなゴミなのだ。たった今、交通事故であなたが死ねば、あれほど大事にしていたアルバムは打ち捨てられる。本はひと山いくらで古本屋に買い取られる。それなら、死ぬ前にもっとすっきりさせたほうが気持ちがよいではないか」
ここに立花氏は猛烈に反論しています。
「死ねばみんなゴミ」というのは、その通りだろう。しかし、死ぬ前はみんな生きているのである。その人が生きている間ははその人が大事にしているものもゴミではなく生きているものである。(略)だからといってそれがなぜ死ぬ前に聖域なんか全部捨てちまえということになるのか。(略)誰にとっても、死んだらどうなるかより、いまどう生きているかのほうがはるかに大切なのである。
私は 立花氏のいうように、いまどう生きているか、が大事だと思います。毎月数万円の保険料を、掛け捨てで払うより、その金でたまにご馳走食べるとか、たまに旅行するとか、のほうが有用なんでは、と思います。
(2018.6.26.記)
追 記
ちょうどこのブログに掲載した、その日、『捨てる~』の辰巳渚さんは、交通事故によってお亡くなりになりました。正確にいうと、このブログの元になったフェイスブックへの同文の掲載は、もう少し前だったかと思いますが・・・。そして死亡されたことを知ったのは、翌日のネットニュースか新聞記事からだったと思います、知って、本心、ぞくっとしました。『捨てる~』で書いた「あなたが死ねばみんなゴミなのだ」という一節が強烈に迫ってきたのです。交通事故だったので突然のことだったかと思いますが、それにしても、こんな記事を書いたその日に事故があって・・・、その偶然に驚くばかりでした。衝撃の事実ではありますが、立花氏の「誰にとっても、死んだらどうなるかより、いまどう生きているかのほうがはるかに大切なのである。」の言葉に救いを求めたいところです。(2019.11.18.)