2009年に創立50周年を迎えた亀岡市立青野小学校の記念誌の編集責任者となり、記念誌の編集後記に書いた内容です。
青野小学校創立50周年記念誌『あおの』編集後記
ここに青野小学校創立50周年記念誌『あおの』が刊行されたことを、編集にかかわったものとして大変嬉しく思っております。ふり返ってみれば、この記念事業との関わりは、今から十数年前の平成10年度、私が青野小学校PTA会長の任を仰せつかったことからスタートしていたのかもしれません。その年度初めでした、前任の会長をされていた森茂さんの呼びかけで、私の地域を除いた他の3地域の元会長たち(森さん・高向さん・船坂さん)が「新会長を励ます会」を催してくれました。その4人のメンバーで、これからのPTA事業運営のノウハウを語り合い、新会長を励ます、という名目を肴にして酒を飲んだ、というのが実態でした。皆、青野小学校を同じ時期に卒業した友人達でしたので、そんな集まりが生まれたのかもしれません。
この会は、それ以降も毎年春先に開催され、現在まで続いております。またこの度の創立50周年記念実行委員会の主要メンバーとしても名を連ねております。その中から私が編集部会長に指名されましたのは、平成13年度に行われました育親中学校創立50周年事業での記念誌刊行に携わったことも関係があると思います。ただ今回は、中学校の時のように年度ごとの卒業アルバムがあるわけではなく、また小学校に残っている資料や写真などにも限りがありました。この現状を克服して、それなりの冊子に仕上げるためには、50年間に亘って青野小学校に関わり、教職員としてまたPTA役員として、そして卒業生として地域で活躍されている方々の協力なくしては成し得ることは出来ませんでした。資料提供、原稿依頼に快く応じていただき、アドバイスをいただきました校下の皆様方に、編集部会を代表して心よりお礼申し上げます。
特に着任間もない時期、すでに着々と事業が始まる中、井尻校長には、公務の合間をぬって過去の資料の掘り起こしに尽力いただきました。また現在は別の小学校に勤務の能勢先生には青小在任時に撮影されたたくさんの活き活きとした学校生活の写真を提供いただきました。さらに実行委員会の日下部氏にはくろうとはだしの風景写真をいただきました。それらの画像のすべてを、この冊子に掲載したいのですが、紙数に限りがあり、叶いませんでした。また小学校に残っていた十数冊のアルバムに貼られた写真も、我が家のスキャナーでせっせとパソコンに取り込み、先述の提供写真を含めると1000枚以上のデジタルデータとして残すことが出来ました。これらの資料は、編集部が解散すると同時に、すべてとりまとめて小学校に保存していただくつもりです。願わくは、今から50年後の『100周年記念誌』に引き継いでいただけるようにと思っています(おそらく紙の本は無くなっている時代でしょう)。
最後になりましたが、編集作業の時間的制約もあり、詳細な部分で正確な記録となっているのか甚だ不安な面があります。この点につきましては、記念誌を手に取られた方々に、ご理解、ご寛容頂きたくお願い申し上げます。
平成22年3月
編集部会長 太田貴久男