日本万国博覧会は、1970年3月14日から9月13日までの183日間、大阪府吹田市の千里丘陵で、アジアで初めて開催され、日本で最初の国際博覧会であり、当時史上最大の規模を誇った。略称は開催地の名から大阪万博、一般的な英語表記としてはEXPO'70が用いられた。また、万博や万国博とも略される。主催は、財団法人日本万国博覧会協会。博覧会の名誉総裁は当時の皇太子明仁親王、名誉会長は当時の内閣総理大臣、佐藤栄作。<Wikipediaより>
名称:日本万国博覧会(Japan World Exposition)
テーマ:「人類の進歩と調和」(Progress and Harmony for Mankind)
開催期間:1970年3月14日~1970年9月13日(183日間)(一般公開は3月15日から)
性格:国際博覧会条約に基づく第1種一般博
会場運営:財団法人日本万国博覧会協会
面積:330ha
総入場者数:6,421万8,770人(うち外国人 約170万人)
目標入場者数:3,000万人
参加国数:77カ国4国際機関
迷子になった親と子供の数:22万643人
モノレールへの乗車人員:約3,350万人
売上金額:入場券 約350億円 食堂・売店関係 約405億円
1日の入場者:最高 83万5,832人(9月5日)
最低 16万3,857人(3月16日)
平均 約35万人
迷い人:大人 12万7453人 子供 4万8190人
落し物:5万227件(その内、金銭は4,780万円)
食中毒:43件 計404人
↑ 当時はまだ写真の主流は白黒フィルムでした。また撮影者(私)の撮影技術が未熟であったため、ピンボケ多数あります。
万博の跡地には広大な公園があります。→ 自然文化園
ロバートブラウンのウイスキーを買うともらえた「太陽の塔」の顔をモチーフにしたグラスです(1976年)。当時のCMで、岡本太郎が「グラスの底に顔があったっていいじゃないか!」と言ったのは有名です。エキスポパビリオンの販売コナーで、時折、このようなレアなものが出ています。
日本万国博覧会当時の出展施設であった鉄鋼館を利用し、博覧会の記念館として、2010年にオープンしました。館内ロビーでは定期的に特別展を開催しているほか、2階部分は常設展示として、当時のパビリオンの写真や岡本太郎の作品などが展示されています。1階の売店には、万博のグッズなどを販売しており、上にある「顔のグラス」も、そこで購入しました。
2011年にも「黄金の顔展」はありましたが、今回は初代(つまりエキスポ開催時にあった)黄金の顔です。あの世間をにぎわした顔乗っ取り犯が、実際に乗っていたものです。
1970年4月26日 - 太陽の塔の右目部分に男が登り篭城(5月3日逮捕、アイジャック事件)。
万博が閉幕して40年以上の歳月が経っています。その間、何度か解体撤去の話が出たらしいのですが、根強い人気で、いまも当時の(いや当時以上の)偉容を誇っています。最近ではイルミナイト万博と称して、太陽の塔に映像を照射するパフォーマンスが開催されています。
岡本太郎生誕100年の今年、例年開催されているイルミナイト万博も、凝った内容となりました。1970年の開催時の映像やコンピューターグラフィック映像が太陽の塔の壁面に映し出されました。またクリスマス時期ということもあり、サンタクロースをコラージュした映像には、見に来た子供たちも大喜びでた。お祭り広場では、全国B級グルメの屋台が並び、寒い中、多くの人々でにぎわいました。
太陽の塔の4つ目の顔「地底の太陽」がEXPO’70パビリオンに出現しました。期間は2011年8月27日~10月10日まで。ガチャガチャが毎日完売する盛況だったようです。しかしそれにしても、1970年の万博終了後に太陽の塔内の展示品が整理された際、岡本太郎の4つ目の太陽は、兵庫県に引き取られ、たしか県庁の片隅に野ざらしの状態で放置されていたといいます。その後、行方が分からなくなったのです。また兵庫県の関係者も知らないということです。当時でも岡本太郎といえば、相当有名な芸術家でしたから、野ざらしで放置、していたなんて、なんという無責任、驚くべきことでしょうか。 今回展示されていた「地底の太陽」は、当時の写真などを参考にして作成されたレプリカのようです。
黄金色に輝く塔の顔は、下から見る分にはそんなに大きさを感じないのですが、間近に見ると巨大な顔であることが確認できます。 今回の展示された顔は、現在、塔の上にある顔の、先代にあたるもののようで、万博開催時には、こちらがかかっていたことになるのでしょうか。