2025年
1月
24日
金
今朝の朝日新聞の「リレーオピニオン・100年目の昭和」は、作詞家・精神科医のきたやまおさむさんです。記事では、1970年に発表した「戦争を知らない子供たち」について語られておりました。
この年は、大阪吹田で万博があり、その中のイベントの中で歌われました。そして、その模様がレコード化され、ラジオでもよくかかっていたことを懐かしく思い出します(なので最初は全日本アマチュア・フォーク・シンガーズ名義で発表されています)。その音源の初めには北山さんのコメントがあります「僕ら・・・おかげさまで戦争を知らない子供たちと・・・」~そして演奏へ、と何度も聴くので覚えてしまいましたね。
何年か前に、中古レコードで購入した実況録音盤があったので写真にて紹介しておきます(このジャケットの隅っこに写っている万博ホールは、博覧会終了後も数年間使われていて、8・8ロックディも行われていたことを思い出します・・・大学生の頃かな?)。
きたやまさんの記事を一部引用させていただきます。
今でこそ反戦歌だとも紹介される曲ですが、実は当時は左翼の人から「軟弱だ」と批判されました。確かに、詞に登場する「僕等」は平和の歌を口ずさんだり涙をこらえて歌ったりするだけで、ヘルメットをかぶって闘争したりはしません。行動をするにしても、青空と花びらが好きな人に向けて「一緒に歩いてゆこうよ」と言うだけで、反戦の勇ましいイメージとは対照的です。でも僕は「戦争はイヤだ、戦いたくない」という気持ちを素直に表現できることが大事なのだと思っていました。戦争から逃げたいという臆病さも、誰にもケガさせたくないし自分も傷つきたくないという気持ちも、人間として持っていてよいものであるはずだからです。あの曲は、反戦歌ではなく厭戦歌です。【朝日新聞2025.1.24.朝刊より】
2025年
1月
22日
水
先日のNHK「ラジオ深夜便」、ゲストは、もとピンクレディーの未唯mie
さん、もう67歳になるんですね。この日のテーマは「わたし終いの極意」で、ピンクレディーとしてデビューした怒涛の数年間、その後、ソロとして活動した際に、多くのミュージシャンと交流、楽曲を発表してきたことが語られました。出会った中でもドラマーの村上ポンタ氏(故人)には大きな影響を受けたそうです。そして今、新たなアルバム制作をしている中で、レナードコーエンの「ハレルヤ」を収録したそうです。ソロとなって、村上ポンタ氏と出合い、本格的な歌手として、これから進んでいく決意もあらたに、この「ハレルヤ」を歌っているそうです。
レナードコーエンは、以前から名前だけは知っているし、この「ハレルヤ」も聞いたことはありましたが、それほど詳しくはなかったのです、が、今回、この未唯mieさんのカバーを聴いて、これはいい曲、自分もチャレンジしてみたいと思いました。
2025年
1月
19日
日
インターネットを使った情報収集やソーシャルメディアを通じた情報発信を行っているウェブメディア「ねとらぼ」の記事に「ナンバープレートにしたらかっこいいと思う京都府の地名は?」というのがありました(現在府下一円にて使われている「京都」は除かれております→そらそうでしょう、全ての市町村にした場合「京都」が選ばれるにきまってます)。
対象は【60代以上の男性が選ぶ】と【女性が選ぶ】の2つでランキングされているようですが、そのどちらも1位が「亀岡」というのです。亀岡に住んでいる者として嬉しいニュースであることは確かですが、ホントかな?、と思う気持ちもあります。字面だけなら「舞鶴」とか「城陽」「宇治」などのような風情のある漢字のほうが選ばれるのでは、と思ったりするのですが、このアンケートでは字面だけでなく、その地域の特色なども語られているので、総合的に判定、ということなのでしょう。
以下「亀岡」の解説文(ねとらぼ引用)
京都市の隣に位置する亀岡市は大阪府とも隣接しており、京都市まで電車や車で約20分、大阪市までは約1時間というアクセス良好な場所です。戦国時代の名将・明智光秀により、現在の亀岡市に丹波亀山城を築城し城下町を整備したという記録が残っており、今なお当時の面影が残る街並みが魅力。1577年の明智光秀の書状では「亀山」という地名が出ており、1869年までは亀山と呼ばれていたそうですが、明治政府により「亀岡と改称せよ」と命じられたことで現在の地名となったとされています。【女性が選ぶ】
亀岡市は、京都市の西隣にあり、電車や車で約20分の場所に位置しています。また、大阪府とも隣接しており、大阪市にも電車や車で約1時間で移動できるエリアです。自然が豊かなベッドタウンとして栄え、現在は京都府内でも上位の人口を有する市です。京都府内では有数の農地をほこることで知られ、京野菜やブランド牛の一大生産地として有名。奈良時代から豊穣の地とされ、京都の中でも歴史の古い街として知られています。【60代以上の男性が選ぶ】
補足
投票数が全部で131票という点が少し気にはなります。
2025年
1月
16日
木
とあるサイトに、音楽評論家の湯川れい子さんとタレントのIKKOさんの対談がありまして、湯川さんが「幸せを招く『あいうえお』を作った」と語られていたので、ご紹介いたします。
湯川:私は悲しいことも学びなのだと受け止めて、苦しみの渦中にいた60歳で「幸せを招く『あいうえお』」を作ったの。
「あ」は「会いたい人に会いたい」、
「い」は「行きたいところに行きたい」、
「う」は「うれしいことがしたい」、
「え」は「選ばせてもらいたい」、
「お」は「おいしいものが食べたい」。
わたくしもこの「あいうえお」に倣います。
2025年
1月
15日
水
1月15日は、暦のうえでは小正月、地域では「とんど(地域によりドンド、左義長などと呼ぶ)」の日でした(あと都道府県対抗女子駅伝の日でした)。ところが今から25年前(えー!もうそんなに経つの・・・?)に、ハッピーマンデーの法律が出来て、この15日を成人の日、祝日としていたのが「1月の第2月曜日」を成人の日とする、となってしまいました。
このことにより、小正月の行事を、成人式の日に、とする地域が多くなりました。なにしろ「とんど」では、正月に飾った注連縄や前年度に授かったお札やお守り、そして子供達は、正月に書いた書初めを、それぞれ火の中に投入、無病息災、書道の上達を祈願する日、でしたから、なるべく人が多く集まる日(祝日)に行わないと、行事が成立しない、という事情がありました。なので、小正月の行事は、毎年変わり、昨年などは1月8日が成人の日でしたから、正月に迎えた「年神様(歳徳神)」は、1週間ほど早く送られてしまうことになります。(・・・毎年この話書いているような・・・)
そんな世間の状況とは無関係に、我が町内では「とんど」は15日(本日)に行っております。正月の餅を焼いて無病息災を願います。
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