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永六輔と宮本常一

昭和100年の100人・永六輔
昭和100年の100人・永六輔

 『文藝春秋』の2月号は、既に発売されているようですが、同誌1月号「昭和100年の100人」の記事を正月明けからしつこく読んでおります(寝る前に2~3人ペース・遅いですね)。

 そんな中、気になったのは永六輔さんです。ヒット曲の作詞家であり、放送作家であり、ラジオパーソナリティ等々、多彩な面を持っておられ、2016年に逝去されました。この特集記事を書いておられるのは、永さんの娘、麻理さん、限られた紙面の中で、昭和20年代(永さん早稲田大学に入ってマスコミ関係に進もうとしていた頃)に、師と仰ぐ宮本常一さん(民俗学者)から言われた言葉が書かれておりました。その後の永六輔さんの立ち位置を示唆するような助言です。

 

「放送の世界に進むのなら、覚えておいてほしい。電波はどこへでも飛んでいく。その先にどんな生活があるのか、人々はどう暮らしているのか。現地で見て、聞いたものをスタジオに持ち帰って伝えなさい」

 

 永六輔さんは、晩年、パーキンソン病を患い、車イスの生活であったようです。その永さんの作詞した「遠くへ行きたい」という楽曲、その曲名を冠したテレビ番組の録画したものがYouTubeにあがっておりました。番組中の、瀬戸内寂聴さんとの会話の中で「僕(永)80歳、寂聴さん91歳」というくだりがあることから、今から10年ほど前、永さんの亡くなる3年前の放送のようです。面白いです。そして、「旅」を通じた永さんのメッセージには、最後まで、宮本常一さんの教えが生きているのだろうと思いました。

(↓ このYouTubeは個人がアップしている関係で消えるかもしれませんので視聴はお早めに)

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