四十数年前に公開された『はなれ瞽女おりん』という映画、そのタイトルや、主演が岩下志麻だったことくらいを記憶しています。そして「瞽女(ごぜ)」という存在についても、盲目の女性が三味線を持って各地を巡業する旅芸人・・・といったところは承知していました。
さて、大阪吹田の国立民族学博物館で「吟遊詩人の世界」という特別展が開催されていて、会期もあと1ヶ月、というので、昨日行ってきました。世界の民族の中には、各地を転々としながら詩歌を歌い・語る「吟遊詩人」が古くから存在しており、本展では、その各国の民族の様子を、写真パネルや映像、実際の楽器などを展示して紹介していました。その展示のコーナーで異彩を放っていたのは、日本における「瞽女」の展示でした。「吟遊詩人」と言ってしまうと、なんだか今風なイメージで、路上ライブ等で各地を渡り歩きながらパフォーマンスしていたり、有名ミュージシャンが、その作風などから「吟遊詩人」と例えられていたり、の「軽い」イメージがあります。が、「瞽女」は、そんな生易しいものではありません。歴史的には、室町時代の史料に、その存在が書かれているようですが、交通網の発達した、江戸時代には北陸地方を中心として「瞽女」の組織が拡大、全国への巡業につながっていきます。
現在ならば、盲目で生まれても、教育や福祉の面でのサポートがあるし、そもそも、どんな人であっても生きていく権利は保証されています。しかし、大雑把にいって戦前までは、そうではありませんでした。最後の「瞽女」と言われる小林ハルさん(1900~2005)の壮絶な人生を知るほどに、こんな世界があったのか、これも芸能のひとつとして存在していたのか、と思い知らされることとなりました。