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観音寺村の勧請縄

観音寺村の勧請縄(2017.6.4.撮)
観音寺村の勧請縄(2017.6.4.撮)

 昨日は、大津市勤労福祉センターの歴史講座「白洲正子「かくれ里」十一面観音巡礼紀行」の第1回目を受講。講師は元滋賀県立安土城考古博物館副館長の大沼芳幸氏(=学生時代の友人)です。

 

 本日のテーマは「金勝山をめぐって~近江と南山城を結ぶ神仏」。テーマにある金勝山は、滋賀県栗東市の南側の山岳地帯で、その山中には、金勝寺、狛坂磨崖仏などがあります。白洲正子が巡ったそれらの場所の記述から、講師の大沼氏は、平城京から恭仁京、紫香楽宮へ遷都していく過程の中で、製鉄技術をもった渡来人(帰化人)が、この近江の地で活躍し、それぞれの都へ鉄製品を供給したこと(と同時に文化、仏教も広めた)。その活動の中心が金勝山であったこと。それまでの姿の見えない「神=巨岩・磐座」を可視化した仏の姿として、石(神)に彫られた仏=磨崖仏(ここでは狛坂磨崖仏)を遺した、という、まことにスケールの大きな話でした。

 

 この講座の中で紹介された金勝山周辺の寺院は、私にとって懐かしい場所でもありました。いまから45年前、大学3回生の時、民俗学を指導していただいた伊藤唯真先生(現・知恩院御門主)のお寺に宿泊して、観音寺という集落の調査をしました。この村の入り口には「勧請縄」という、神社のしめ縄のようなものがありました。一緒に行った社会学部の友人は、その縄と境界という点に着目して卒業論文も書いていました。数年前、ドライブがてら、その村まで行きました。今も「勧請縄」が吊るされていて、伝統を守っている、続いている、ということを感じました。

 

 

 

 

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