昨日、大津市の講座「織田信長・天下布武の国を歩く」の第1回目、小谷城攻防戦を聞いてきました。
講師は元滋賀県立安土城考古博物館の副館長・大沼芳幸氏です(=学友)。
史料『信長公記』の記述をもとに、大沼氏が撮りためた滋賀県内、関連地域の寺院や山々などの写真とともに、地形図の中に居城や軍勢の位置を示して、当時の勢力関係をうまく説明してくれました。今回は、浅井長政の居城、小谷城を、織田信長が如何にして攻略したのかが内容でしたが、攻略後の天正2年正月の「信長の心情」という史料の記述は衝撃的です(写真)。
小谷城を攻略後、浅井長政や朝倉義景らの首(しゃれこうべ=頭蓋骨)を宴席に飾って、それを「肴」に、飲めや歌え、踊れのどんちゃん騒ぎをしたとのこと。おそらく、その席に、明智光秀も参加していたことでしょう、この8年後、本能寺の変になるんですね(講義を聞きながら明智光秀の目線で宴席の史料を読みました→亀人ですなぁー!)。
今年の4月、にわかライダーの私は、ツーリングの仲間と小谷城を見学したことが思い出されます。今回の講座を先に聞いておれば、小谷城の風景を見る目も違っていたのかなと思うし、いや、聞かなかって良かったかも、とも思います(その時「眺めのいいところやー!」くらいの感想でしたから、聞いていたらドロドロ感で本丸跡には行けなかったかも・・・・)。