昨日、旅籠町の友人宅で雑談している最中に、携帯に電話がありました。「京都府・歴彩館のIです」、半月前に、地元の閉校となった小中学校の校歌CDを、資料として送付した担当者でした。「口丹波民俗誌という冊子の著者で太田さんのお名前が出ておりますが、間違いないでしょうか」ということでした。間違いありませんと応えると、「その冊子を当館に寄贈いただけないでしょうか、地域の資料として保存させていただきたい」とのこと、残部あったと思いますので、帰宅して、あれば送らせていただきます、と返答しました。
今から37年前に自費出版した『口丹波民俗誌』のことで、その内容は、さらにさかのぼること今から45年前に、亀岡市内の数か所を民俗調査して、それを約10年後に冊子としてまとめたものです(平成10年のことでした)。200冊ほど作成して、調査した際の話者の方々(亡くなっておられた場合は家族の方)に配付したのと、地元のことでしたので、亀岡市立図書館、ガレリア分館などに寄贈しました(その時には京都府立資料館までは思い至りませんでした、よく使っていたのに・・・)。さらに大胆にも(自費出版なのに)国立国会図書館にも送付しました(送付後、お礼のハガキが来たのと、後日、国会図書館のサイトで自分の名前を検索し、書名がヒットして喜んだものです→単純)。
歴彩館のIさんも、そういったあたりで検索されたのでしょうが、そのきっかけは、校歌のCD、それを作った「太田」という人物は、ほかにも地元関連の資料(この時点では校歌などの音源資料という見当だったはず)を作成しているのではないか・・・・で、名前を検索していて、音楽とはまた違うジャンル(民俗学)で、なにやら冊子があるみたいだな、それなら携帯電話の番号分かっているし電話してみよう、ということなんでしょうね。→恐るべし歴彩館資料サービス係(のIさん)、・・・普通、なかなかCDを送ってもらった、という件だけで、40年以上前に、民俗誌の冊子を出版しているという事実にたどり着きませんけど、・・・次の異動先は京都府警かも(笑)。
そんな昔の冊子で、作成後も、名刺代わりにと、特段興味のない人などにも無理やり渡したりで、自宅の在庫は、3冊だけでした。その虎の子の1冊と、さらにその数年前に自費出版した『猪倉風土記』もおまけに付けて、本日、郵送いたしました(律儀な歴彩館のIさん、またお礼の電話かけてくるんでしょうね・・・明日のの午後は、大津で織田信長の講義聞いてるので電話には出られませんが・・・)。