先月は、年度末で、学校では卒業式や終業式が行われておりました。また、本日より年度が変わり、入学式や、会社では、入社式などのシーズンとなっております。そういう場で、来賓より「年年歳歳花相似、歳歳年年人不同(意味=毎年毎年、花は変わらぬ姿で咲くが、それを見ている人間は、移り変わる)」というフレーズを枕にして、お祝いのメッセージを聞くことがよくあります。
このフレーズは、初唐の詩人・劉希夷(りゅうきい)の「代白頭吟」の一節にあります。
いまから約半世紀前、「紅顔の美少年」だった私が(笑)、大学の授業で受けた講義『唐詩概説』(いつも風呂敷に本と出席簿を包んで登壇される小川環樹先生)のテキストにも紹介されていた有名な詩です。そのテキストを、いまだに持っておりまして(なにしろ小川先生のサイン入りですから)、該当のページを見てみると、けっこう長い詩なのです。そして、なんとなくイメージされるこのフレーズ(毎年花は同じだけど人は変わっていくのだ)がメインの詩だというのは、ちょっと違うようです。タイトルに「白頭」という語があるのは、白髪頭のことで「白髪頭の老人は、まことに憐れむものだ」「こんな老人も昔は紅顔の美少年だったのだよ」という言葉が続くのです。白頭を憐れむ、白頭を悲しむ、という詩なんですね。なので、前途洋々で若々しい青少年たちへ、お祝いのスピーチの枕に使う、というのも少し違うかもしれません。せいぜい退官祝いとか還暦祝いの席で、この方も昔は、紅顔の美少年だった、という洒落として使うのが適切かもしれません(「紅顔の美少年」という言葉の出典も、この「代白頭吟」の詩の一節からきているようです)。