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忍びの滋賀 いつも京都の日陰で

 どなたかがFacebookで、これはオモシロイと紹介していたので、珍しく新本で購入しました(この手のテーマにすぐに食い付く私です)。

 同様の自虐ネタでは、井上章一「京都ぎらい」が知られています。「〜ぎらい」の方は、嵯峨野に住む井上先生からみた洛中人に対する自虐なのですが、滋賀県甲賀市出身(へぇ〜そうなんや、というイメージ)の姫野カオルコさんが隣県(市)京都に対する自虐、という体裁になっています。

 東京から京都、大阪に向かって新幹線に乗っていても、一般的な日本人は、ほとんど滋賀県を意識することが無い、というような話が、姫野さんの経験を通して面白おかしく語られます(さすが直木賞作家です、文章運びもなかなかエッジが効いています)。

  滋賀県民の皆様、もう読まれていますか?

 

 

追記

 この本に出てくる「記入ハッと世代」、姫野さん世代のことで、役所などで書類に必要事項を記入する際、自身の年齢欄に書いた数字を見て、もうこんな歳になったことに「ハッ」とする世代を指しています。つまり、(私も含めて)そう若くないんだ、クルマを運転するのも危なくなるんだ、しかも田舎に住んでいるほど歩かなくなるんだ、という意味合いがあります。

 

 最終章まで読んで「ハッ」としました。滋賀県民であることを自虐的に笑いにして、いかに都会(京都)との差があるのか、滋賀県は影の存在なのか、を面白おかしく綴っていますが、それらは紙数上は大半を占めてはいますが、けっきょくのところ、我々「記入ハッと世代」は、これからどのように生きていくべきなのか、地方のお偉いさん方、国会議員の方々、これからの日本、いまのまま放置すれば、えらいことになりますんで、まずは地方都市である滋賀県が、こんなふうになればいいし、なんとかその方向で動いてもらえまへんやろか、という提言の書(第4章)になっているんではないかと。第1章から第3章(227/286ページ)はつかみ(枕ですか、えらい大きな枕や)で、メインは第4章(59/286ページ)なんではなかろうか、と思った次第。

 

第3章までで、読み了わる人も多い、でしょうね・・・・。

 

 

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