数日前の京都府舞鶴市で行われた大相撲春巡業で、あいさつ中に突然倒れた市長の救命措置で駆け上がった女性に、日本相撲協会側が土俵を下りるよう求めるアナウンスを流した問題、このところ、ネットでのニュース、テレビ等で大きく取り上げられております。
論調としては、最近の日本相撲協会の不祥事や貴乃花親方との揉め事などにからめて「またしても相撲協会が・・・」というスタンスです。伝統ある相撲の土俵に女性が、という点は、救命処置と女人禁制との優先度を伝えています(もちろん人命優先ですが)。しかし、そもそも女人禁制的な風習が何時から存在していたのか、という点については、多くの人は、ずっと前から、という漠然としたことしか理解していません。しかも歴史的な根拠にも乏しいと思われます。この点について2008年に出された北海道教育大学の紀要に吉崎・稲野両名義の論文が引き合いに出されているようです。16ページほどのボリュームで、さきほど私もプリントアウトしてざっと読んでみました。平易な文体なので、引用文献以外は、読みやすいのです。各学問分野については網羅的ではありますが、よく調べられていると思います。ご関心の向きはどうぞ。
これらの説(さまざまな不浄観)について、私個人は、以前から、まったく逆ではないかと考えております。穢れ、とされるものは本来、神聖なもの(事)であって、忌避している側に穢れがあるので接触しない、神聖なものを汚さない、という時代が古代にあったのだと。しかし後世、さまざまな事情(戦・社会制度・思想・宗教・等々)により逆転したと、そう考えております。これは、あくまでも個人的見解です(詳細略)。