今朝の朝日新聞朝刊の投書コラム、投稿者である年配の方が、たまたま家の中を片付けていたところ、昔に発行された2千円札が出てきた、お宝のコインなどを蒐集している孫にやろうか、もう少し後の次の正月にしようか、という内容でした。その中で、お盆の頃に子供たちに渡す金品を、正月の「お年玉」になぞらえて「お盆玉」と、近頃では言われているような箇所がありました。この言い方は、世の中にそこそこ浸透してきている、というニュアンスもあるような書きぶりでした(ネットでクグルと確かにいっぱい出てきますね)。本題の2千円札の話よりも、私は、この「お盆玉」に、少し違和感がありました。この言葉に対応するなら「お年玉」は「お正月玉」になるのではと。変ですよね。
そもそも「お年玉」の起こりは、民俗学では、歳徳神(もともとは先祖の御霊)が毎年来訪し、その家に新年の始まりを伝える、その「玉=魂」といわれています。つまり、歳徳神は、農耕神であり、秋に収穫した米に感謝して、それを祝う、という背景があり、子供たちに与えられる年玉は、通常、丸もち(収穫した新穀米)でありました。お年玉が金銭になったのは、社会の近代化や経済活動の関係だとは思いますが、お年玉をもらって、一つ歳をとるということは、次節の米の収穫を予祝する行いだと言えるでしょう。
ところでお盆に、お精霊さんを迎え、送り出す、という火をともなう一連の行事は、お正月の行事(門松→とんど焼き)と共通点があります。正月の神迎え、神送りと、お盆のお精霊迎え、お精霊送りは、もとは同じであったのではないか、と言われております。そもそも正月も盆も、ご先祖さんを祭る行事であったということになります。それからすれば、この新聞に投稿した年配の方が、孫に渡そうとしている金品は「お盆玉」などというややこしい表現をしなくても、正月と同じ「お年玉(=精霊魂)」と呼んでも差し支えないと思うのです。FBより。
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