この研修は就業年数や役職等を勘案して順次課長職に与えられる公的研修出張となっています。そのため研修終了後には、構成員の方々に「こんな研修をしてきました」「たいへん為になりました」といった主旨の報告書を書いて、連絡誌に掲載するのが慣例です。このレポートは、その「お堅い」ほうの報告書になります。内容としてはウソやごまかしはありませんが、事実は事実として、研修時間数の中で占める割合は、まあ、低い、かな。
ヨーロッパ諸国の大学事情
-特にイギリスの大学を中心として-
(日本私立大学協会 2001 第64次 ヨーロッパ研修団参加報告)
太田貴久男
ヨーロッパの大学は、ボローニャ大学やパリ大学(いずれも10~11世紀創設)に代表される伝統校が、いまだに大きな存在感を示している。特に古代ギリシャ・ローマの哲学が歴史を通じてさまざまな思想となり、それが今日の学校教育の中で活用され、人間形成の骨子となっているのが、ヨーロッパの文化、しいては大学の特色だと言える。したがって、ヨーロッパの社会が大学に求める役割や意義(大学の特色や精神を含め)は、21世紀の今日を迎えても、さして変わるものではないようである。それがまた、1000年の歴史を持ち、維持してきた自信、風格にもなっているのかもしれない。
ただし、日本でも近年、18歳人口の減少、大学淘汰という時代背景を受けた形で「大学評価」「大学改革」が叫ばれることと同様に、ヨーロッパにおいても、「value for moneyの考え方」「accountability(教育機関の成果への責任)の強調」という世論を反映して、研究と教育の「質」がきびしく問われる時代になってきており、その伝統的スタイルの変革を迫られている。特に来年から通貨の統一が実施されるEU諸国では、欧州委員会を組織して教育政策の検討が提起されている。とりわけ変革が著しいのはイギリスだと言える。
今回、日本私立大学協会の研修団に参加する機会を与えられ、特にイギリスの大学事情について、オックスフォード大学やケンブリッジ大学のような伝統校とウォーリック大学のような新しい大学を視察することが出来、直接大学の様子などについても説明を受けることが出来たので、不充分ではあるが、その一端を披露したい。
イギリス国家としての大学政策は、サッチャー政権の登場で大きな転機を迎える。それは、一言でいえば競争原理と評価制度の導入である。その具体的な動きの一つに、1992年のポリテクニクの大学昇格がある。それまでイギリスの高等教育(大学教育)は、教養教育・研究重視の伝統的な大学と、それを補完する実学志向のポリテクニクが併存する二元制度として知られてきた。そのポリテクニクが大学に昇格し、一元化することで、大学数は倍増する結果となった。なお、この動きの前段階として、20世紀中頃以降に創立したウォーリック大学のような新大学( New University )、工業大学、放送大学など、多様な形態の大学が生まれているので、ポリテクニクの昇格によって、イギリス国内の大学の様相が一気に変わっていったのである。
二つ目に、HEFC( Higher Education Funding Council : 高等教育財政審議会)による評価の実施である。1986年から研究評価、1993年から教育評価が行われるようになった。イギリスの大学は、原則すべてが国立であり、各校への資金配分(日本でいう国庫補助金)は、このHEFCによる大学評価によって決定されることになったのである。結果として国内の大手新聞社や教育雑誌などにも大学ランキングの記事が華々しく掲載されることになり、評価の高い(ランキングの高い)大学は、相応な資金を得ることとなり、さらにその資金を、教育・研究に注ぎ込むことが可能となっている。
「富める者はますます富み、貧しい者はますます貧しくなる」という『聖書』マタイ伝の言葉を引用し、イギリスの大学改革は「マタイ効果」と称されているそうである。
今回訪問したウォーリック大学は、コヴェントリー市内から車で15分の小高い丘陵地に位置する1965年設立の比較的歴史の浅い新大学である。設立当初は、わずか450名の学生数の小規模な大学であった。ところが、その後飛躍的に拡大し、2000年度の学生数は、学部生8,555名、大学院生5,097名、遠隔教育生2,338名、その他の学生1,463名で、学生総数1万5千人を擁している。このうち、海外からの留学生は、2,500名(うち日本から約100名、ほとんどが大学院生)となっている。課程も生物学、経営学、化学、コンピュータサイエンス、経済学をはじめとして110余りの学部課程と90余りの修士課程からなる総合大学へと変貌したのである。しかも研究・教育の質の高さは、ケンブリッジ、オックスフォードと肩を並べ、国内で五指に入る優良大学である。
何故新生大学でありながら、これほどまでに発展し、高い評価を受けているのか、今回、我々訪問団へ大学の紹介、プレゼンテーションをしてくれた極東地域留学生担当プログラムディレクターのJon Inegbedion氏は次のように語っている。「設立時より、卒業後に職に就ける人材養成を柱として産業界と密接に関係した大学であったこと、また大学自身が会議場の提供、ケータリングサービスや機械製造といった産業界と直結した事業を展開し、そこそこの収益を上げていること」が大学運営の基盤としてあり「HEFCによる外部の評価に加え、徹底した内部評価(品質コントロール)を行っている」ことで高い評価を得ているということであった。サッチャー以降、国家予算の大学補助金17パーセントカットという政策の下でも、ウォーリック大学は「 save half , make half 」の方針で、大学経費の半分をカットし、別途半分を確保(収益を上げる)することに成功している。結果として、国立大学であるにもかかわらず、政府からの財源比率は30%、外部でのリサーチ活動の収益で15%、さらに大学自身の活動で55%という割合である。これは、実態としては、大学という名の大企業というイメージに近いのではないだろうか。
大学キャンパスはとても広大で、中央部には映画館・劇場・美術館で構成されたアートセンターが置かれ、またスーパーマーケットや理髪店のほか、レストランも8軒あり、それぞれ一般市民が利用することも可能である。それはまるで大学という機能を中心に据えた、新興都市、といった趣である。また、この大学は、学生数でもわかるとおり、留学生の受け入れにも積極的(学費は国内学生より割高の設定とし収益アップを図っている)で、アジア地域からも多くの留学生が在学している。多様な地域の学生が闊歩するキャンパスは、とても国際的で明るい印象である。
ウォーリック大学のサクセスストーリーが、即、日本の、あるいは本学の大学改革に結びつくものとは言えないが、大学評価制度の徹底した方針、産学一体の実態、それらのクールで硬い大学イメージと、その反面市民に開放された自由闊達でホットな雰囲気のロケーションとの共存が、生き残る大学の厳しい現実を却って印象づけるものとなり、示唆を与えるものだという確信を持った。
まだまだ、イギリスの大学事情について、詳細に報告すべきところであるが、なにぶん聞き取りが不充分なところがあり、勉強不足の点をお許しいただき、所定の紙数もあるので、以上で研修の報告に代えさせていただくこととする。
最後に、今回の研修機会を与えていただいた大学当局と、研修団で、訪問の交渉から段取り、スケジュール等をお世話いただいた日本私立大学協会に感謝の意を表したい。
ヨーロッパ研修を主催した協会でも報告書を出すとは聞いていたのですが、勤務先への報告書を書くのに、ない知恵しぼって書いたがために、さらにもう1本書く余裕はありませんでした(同じ内容では芸がありません)。締切日は過ぎて年も変わった頃に、協会のIさんから電話がありました。参加者からの報告書の原稿があまり出ていない、ぜひ書いてくれ、どんな内容でもいいので、といった内容でした。それで「どんな内容でもOK」という言葉を「ふざけた内容でOK」と勝手に解釈して、正月明けに、一気に書きました。1年後に同窓会をした際に、面白かった、と皆にほめられたことが懐かしく思い出します。ただ十数年後の今読み返すと、時代の経過を感じます。文章もちょっといきった感じです。
<日本私立大学協会 2001 第64次ヨーロッパ研修団 研修報告>
研修中に経験した日常的事象と観光立国の営業戦略
~特に日本旅行者が受ける観光サービスの背景~
佛教大学 太田貴久男
はじめに
この研修は「日本私立大学協会第64次ヨーロッパ研修団」という少し仰々しい名称のもとに加盟各大学より参加したメンバーにより構成されていた。第64次と言っても、私立大学協会が実施した回数を付与しているだけなので、参加者は、恐らくどの人も初めての研修であり、私自身を含めて、どんな研修になるのかは、まったく予測のできない状況であった。事前に送付されてくる研修資料には、ヨーロッパの高等教育事情や文化・文明についてのものが大半で、堅苦しい研修なのか、という先入観もあって、またヨーロッパを訪問すること自体がはじめての経験であり、期待と不安が入り混じった気持ちのまま、事前研修が行なわれる「アルカディア市ヶ谷」へ向かったのである。ここでは、結団式と、国会図書館の木戸先生による講演を聞き、出発に向けた気分は高まる一方であった。ちなみに、このときに班分けがあり、ご指名により班長をすることとなったことも、緊張感を高める一因となった。
そこで一泊の後、バスにて成田空港へ向かった。バス内では、私立大学協会の井上氏から、研修終了後に各自より報告書を提出してほしい旨の伝達があった。大半の参加者は、個人で申し込んだのではなく、大学からの派遣という形で来ているので、大なり小なり報告書の類を、所属している大学へ提出することになっている。私の場合も、帰国後すぐに「それなりの研修報告」をまとめて提出している。井上氏の説明によると、それと同じものでも良い、とのことであったが、どうしてもイギリスのウォーリック大学での研修が話の中心となってしまう事情もあって、他の参加者の報告書と重複することが考えられる。したがって、研修内容そのものについては、これまで、何十回とヨーロッパへ派遣され、報告がなされていることも考慮し、つまり同様の内容を書き連ねることをせず、私がこの研修団で体験した、特に研修時間以外の日常生活で感じたことについて、以下、感じたままに、やや主観を交えて報告させていただく。
ヨーロッパ研修の特色
私大協の実施する研修団とはいっても、やはり航空券の調達から現地スタッフとの連携等、日本通運㈱という手馴れた旅行会社の手によって企画されることになる。また、現地ヨーロッパにおいても、ミキトラベルという観光斡旋業者が手配した案内者(ガイド)に説明を受け、さらに各国の事情により、関連の業者にも世話になる。研修という名が付いていたとしても、どうしてもベースとなるのは、観光旅行、パックツアーといった流れで動くこととなる。行く先や説明内容に多少、アカデミックな色合いはあったにせよ、我々研修団も、夏休みに日本から続々と出発する観光ツアーの団体と、日常の行動等では、ほぼ同様のことを経験することとなるのである。ところが、当初私は、前述したように、この研修団がとても堅苦しい内容で行動なり研修をするものだ、という先入観があり、実際に現地において、我々と関わる種々の観光関連業者の物言いや振る舞い等に、少し違和感を感じていたことも正直なところ本当である(過去の参加者からもっと実際の内容などを聞いておけば良かったのかもしれない)。また、公式訪問としてのウォーリック大学であっても、やはり後から考えれば、結構ビジネスライクに企画されていたようにも思うのである。つまり、ウォーリック大学のサクセスストーリーは、大学の開放を経営的戦略として捉え、成功させたことにある。今回の訪問においても、留学生の受け入れの紹介、そのPR、寮(ドミトリー)や食堂(レストラン)の施設利用は、表向きは、大学間(私大協会とウォーリック大学)の親善という色彩を持っていたものの、トータル的には、大学ビジネスの中、その経営戦略の中で実施されていた感があると思われる。
研修内容はともかくとして、これら一連の観光(研修)の日程、スケジュールの中には、ヨーロッパにおける、観光産業の仕掛けが随所に感じられたのである。その二、三点について、以下にまとめる。
① 研修終了後に現地日本のデパートで解散すること
ロンドン、ローマ、ウィーン、パリの主要都市、4カ国を研修したわけだが、どこにおいても、1日の研修日程が終わり、現地解散をする際には、1回は、三越や伊勢丹などの日本のデパートに案内された。現地ガイドの説明によると、①日本語が通じ免税の手続きも可能、②安心・安全・便利、③特別の割引がある、④ブランド物の土産が買える、といったメリットを強調されていた。この研修団のメンバーも、結構、買い物をされていたかと思う(あいにく私自身は、ブランド物などにはまったく関心が無く、あまり利用はしなかったのであるが)。
ところで、韓国などへツアーで行くと、必ずコース途中に韓国海苔とかキムチの物産店に立ち寄ることが多い。バスで到着すると、店の係の人から、ツアーを識別する(ためだと思われる)番号札を渡され、それを提示して商品を購入する。おそらく、この番号札を持ったグループによる買い物の総売上の何パーセントかが、ガイドあるいはツアー業者などへのバックマージンとなっているものだと思われる(ところが、その後に現地の方が利用する南大門市場などへ行ってみると、この観光者向けの店の価格は、その2~3倍はしていることが分かり、早合点をして大量にお土産を買った人は愕然とする)。これは、そう思うだけであって、事実であるかどうかは、確認していないのであるが。
今回のヨーロッパでの研修後にデパートで解散し、さらにそこでの買い物手順の案内があったことは、韓国の例ほど露骨では無いにしても、それでも、全員に購入用の大きな袋を渡され、この袋に入るだけ買ってください、とでも言わんばかりの経験をした。このシステム(「買い物カゴ商法」と命名しておこう)は、日本でも量販店やアウトレットのストア、はたまた大型レンタルビデオ店などでよく見かけるものである。入り口で買い物カゴを渡される(あるいはカゴが山積みされている)と、店内を巡回しているうちに、安いからといって、いらない物(買う時点では必要なものと思っているもの)、観るつもりのなかったビデオ(観てからケースの写真や図柄に騙されたと思うようなもの)など、ついついカゴの中に入れてしまうのが人、特に普段買い物カゴなどを使わない男性などの陥りやすい行動である。それが商売の仕掛けである。おそらくこのデパートにおいてもそんな狙いがあるのかもしれない。また、ロンドンのデパートで見たトレーナーが、その数時間前に見たオックスフォードの小売店で見た同じものの倍近い値札を付けていたこともあった。日本を離れたヨーロッパの地で、はからずも、世の中とはこういうものだ、という感想を持ったのは、貴重な経験だったかもしれない。
こういったデパート業者と、旅行業者とは、観光という面で、密接な関係にあると言えるであろう。外側から見ているだけ、経験しているだけなので、両者の間に、どのようなギブアンドテイクがあるのかは、分からない。あるいは、この事象は、まったくの偶然のことであるのかもしれないし、ボランタリーな精神のもとに紹介されている崇高なるサービスの一環なのかもしれない。したがってこれ以上、この事象を詮索するつもりは無く、事実は事実としてとりあえず第一の特色として挙げておこう。
② 団体でガイドされるということ
国内旅行なら、個人ですべてを段取りする場合もあるが、海外旅行では、よほど行き慣れた人か、または冒険家でない限り、大抵は旅行代理店でパックツアーを予約して、目的の旅行を行なうのが普通である。この度の私大協の研修も「研修」的要素はあるものの、実態は、この団体旅行の形態であって、全日程・コースがびっしりと決まっており、何時何分にどこどこに集合、出発、バスに乗車し、グループでまとまって行動をし、所定のガイドによる説明を受ける、というものであった。非常に窮屈な面もあるが、手馴れた業者、ガイドのもとで観光をするわけで、個人でガイドブック片手に、うろうろすることに比べれば、まことに効率の良い観光が出来る。実際に、どこの国へ行っても、ガイドさんたちは、口をそろえて「個人で来ると、こうはいきませんよ」「今回の団体さんはとてもラッキーですよ」と、ツアーの利点を強調していた。確かに、そうかもしれない。フランスのパリにあるルーブル美術館へ個人で行った場合、地図を片手にして、モナリザの飾ってある部屋にたどり着くのに何時間かかるであろうか。とてつもなく広い建物の中に、何十万点という美術品が並んでいるわけだから、仮にガイドブックで十分な予備知識を仕入れていたとしても、それを商売にしている人にかなうはずはないのである。また、見学は、個人よりも団体が優先される様子で、事前予約などをしていたこともあるだろうが、入場ゲートから延々と続く個人旅行者の列(入館を待っている人の列)を横目にして、別ゲートからスッと入場したことが何度もあった。さらに、館内での説明についても、ある場所を確保したら、後から来る団体は、それを追い越してはいけないし、また邪魔をしてもいけない、という業界のルールによって、比較的、落ち着いて説明を受けることが出来たのである。個人の観光者は、その合間をぬって見学をすることとなる。「ヨーロッパの観光は団体優先」ということがよく理解出来たのである。ただし、個性豊かな我が研修団員の面々は、それだけのメリットを享受出来得る環境にありながら、「個人旅行者」に回帰しようとしていたのは何故か、一応、グループを取りまとめていた班長の立場からは、コメントは差し控える。
③ 驚くほど決まっていた飲み物の注文
この研修での食事については、すべて団体としての予約がしてあり、何の心配もいらなかった。ただし、飲み物については、個人の嗜好があるので、その場で注文することになる。食事の前にその種類を聞かれ、個々に運ばれてきて、食事が終われば、また個々で支払う(しかもレジではなくて、テーブルの席で支払う)。ビンやコップは飲み終わっても、精算しやすいように、テーブルから引き上げたりはしない。目の前にある分について支払う、というわけだ。私は、はじめ、こういうシステムにしておけば、その場で精算が出来、また効率がよいものだ、と感心していたのであるが、全日程、すべてのレストランにおいて、まったく同じ(ただし値段は場所によって違う)ことに、あまのじゃくな心のどこかに「何か変」という思いがふつふつと沸いてきたのである。我々は団体だから…?。では個人の旅行者はどうしているんだろう?。日本人と他の国の団体では違いがあるのだろうか?。地元の人達はどういうシステムで食事をしているのだろう?。料金なども一緒なのだろうか?。いやそんなはずはないはず。日本並みの値段だが、地元での価値なら、もっと安いに違いない。などなど……。団体客を、一括して、その場だけの小売り業的環境に置くということは、すなわち、それ以外のやりとりが見えてこない、ということになる。はじめは団体での食事に安心を求めていたけれども、もう少し冒険(ちょっと大げさだが)があってもよかったのではないかと思う。
食事に関しては、贅沢、わがまま、を言えばきりが無い。この研修団では、食事の時間の持つ意義を、①疲れた体を癒すひととき、②仲間との語らいの場、③盛り上がりのイベント、④アルコール依存への導入……といったこととして、先に挙げた数々の疑問については、その意義に免じて不問に付すことにしたい。
おわりに
ヨーロッパの大学事情およびヨーロッパ文化、については、事前学習、実地研修、関係者によるレクチャーなどにより、所期の目的の研修をすることが出来たかと思う。さらに上記報告で取り上げた日常の瑣末な事象も、今となっては、貴重な経験・研修となったのではないだろうか。それは本やテキストだけでは得ることの出来ない生きた経験であり、海外にはさまざまな習慣やルールがあることを身をもって感じることが出来た良い契機となったのである。あらためて私立大学協会の伝統ある研修の企画とそのサポートに対して感謝の意を表明したい。また、期間中、行程の手配から細々としたところまでお世話いただいた㈱日通様にも感謝したい。将来、海外旅行に行く機会も出来るであろう。その時には、今回の経験を生かして、より有意義な「団体旅行」を楽しむことが出来るであろう。
ありがとうございました。