第5章 郷土と村落社会
近代資本主義は、人々からふるさとを奪ったといえる。かの文部省の唱歌、「うさぎ追いしかの山~」という牧歌的状況を、都会に生まれ育ったホワイトカラーの2世3世には、おそらく実感をそそらないだろう。しかし、すべてを一律化する様に見える近代資本主義文化、ことにその象徴としての都市も、細かく検討すると、独自の風土的性格を備えている。情熱の歌人、石川啄木が、「ふるさとの山に向いて言うことなし・・・」と歌ったが、それは多くの人々に共感を呼んで愛唱されるのは、人々が失われた郷里に対する郷愁を感じるからで、郷里を失った寂しさに訴えるからである。望郷の念とか郷土愛の感情は、何も日本人だけのことではない。しかし日本人は、とりわけ郷土に対する愛着心が強いと言える。他郷他国に出て成功し、あるいは失敗して、常に思うのはふるさとの事である。彼にとって郷里は、自己の人間形成の大きな契機として入り込む、思い出と一体化した風土としての自然である。客観的な風光の美行、地味の基層は、問題ではない。人の心を温かく抱き込んでくれる故郷の山河は、旅人が行きずりに心惹かれるあれこれの山水とはまったく別の、当人以外には味わえない諸々の思い出を秘め、ありがたいのである。
故郷の故(ふる)は、古、旧、昔であるとともに、「経る」でもある。歴史的経過的なものを含んでいる。出生地というだけでなく、世代的な定住、少なくとも一定期間、特に人間形成に主要な幼少年期の生活体験が織り込まれていなくては、真のふるさとにはならない。
日本人の大多数は、既に有史以前から、強固な定住農耕生活に入ってきたが、この点は、牧畜や狩猟を長く続けた民族とは大いに異なった心理を形作っている。獲物を追って、常に移動し、風土的環境を自ら調節するのでなく、定住農耕の生活は、所与の生活に順応した生活にならざるを得なかった。
★note
『風土』和辻哲郎
地理(ヨコ)と歴史(タテ)が媒介し合ったもの
一国の歴史は、一国の地理的条件に「絡み合う」ことなしには存在しない
その逆も言える
3つに分類
L東南アジアのモンスーンに吹きさらされる自然
L西アジアからアフリカにかけての砂漠
Lヨーロッパの牧草地帯
→アジアのモンスーン地域の歴史には他と違ったそれなりの歴史がある
歴史の舞台
↓
一つの地域・国に限っても言える
村とか小地域に縮小して考える=郷土
風土ー人間の生活に何らかの関わりがある
郷土とは、今で言う本籍地とはまったく違う
都会人に「ふるさと」があるか
ただ生まれた所でなく
生まれてそこで育ったところ・人間形成が行なわれる所
生まれ育って死んでいく・そういう社会の中に感情を動かす条件がある
経る里ー自分の経験を経た土地
日本の農村には、近ごろまで、一生を生まれた村内で過ごしてしまう者が少なくなかった。それは、あたかも植物群を見て、生まれた土地と切り離れることなしに、その土地とともに生きる生活。こうした定住性の特徴は、ただに空間を占有しているだけでなく、時間の占有と自覚がある。とくに村落が孤立した自給自足の小宇宙を作っているところで、こうした意識は、世代的歴史的に生活の中に伝達されている。それは自然や風土に対する意識や感情、そこから培われる生活態度、人生観だけでなく、長い歴史の流れと風土の命令の中で、幾世代となく試行錯誤(error&trial)を繰り返して、その末に、ようやく到達された生活の形態と秩序であり、それは、同一の生活条件が続く限り、世代から世代へと伝達・継承され、支配的働きを、後代の人々の上に及ぼす。
それが、習俗あるいは伝承(Folk ways)ひとつの社会力となって人々を教育し、規制するために、ここに一定の生活と人間のパターンが出来上がってくるのである。かくして村人は、単一な一人の人間としてあるのではなく、また、ありえないのである。村に生まれた人間は、村落社会という樹木の葉であり、家族というのは枝、家連合という大枝を介しての幹としての村落社会に連なり、その根は、先祖たちの生活伝承の中に深く下りている。葉である人間を、過去無数の死者の蓄積してきたエネルギーと経験によって、ここに生かされ、根、幹から養分を吸い上げ、自らを形成している。一言で言えば、郷土を支えているものは、残留と持続であり、すなわち伝承によって作り上げられた。Culture Complex(文化複合)と、これによって作りあげられた人格・心情との相関関係である。
<図>
自然景観と、それを取り巻いて話し合い親しみ、憎しみあってきた家族、親族、同族、近隣、村人、あるいは、彼らとともにやってきた祭りや年中行事や冠婚葬祭、交際、共同慣行、また彼らとともに、土地に即して語り継がれてきた伝説、昔話、禁忌や諺、そうしたものが、土地と建物を中心に、縦横に絡み合っている伝承的類型的な生活と文化の郷土の実態である。
それは、ここに生まれ育ち、それを身につけてきた自己の人格、心性の反省自覚の上に意識されてくる感情である。しかしこうした自覚や意識は、人によって一様ではない。伝承の中に埋もれ、他を知ること無しに生涯を閉じ、土地で送るものには、かえって故郷意識は浮かび上がってこない。それは郷土を離れるか、他と比較することで、客観化し、反省するという手段がいる。
都会は、あるいは人間の砂漠、極端に言えば、掃きだめである。となり近所の人の素性等に関わり合うことなく、見知らぬ無数の人間が、充満して、孤独の観は大都会において、まさに切実である。ここに人は、故郷のもつヒューマンな親近性を感じる。一族、縁者はもとより、村の家々の系譜も素性も知りつけ、暇があれば、その家の米びつにまで手をつけ、道で会えば挨拶し、同じ方言、思想を持った故郷は、自己と他人とが内面的の深くかかわる共同体であり、これがふるさとを思う心を作り上げている。したがって郷土本籍地とは、まったく違う、同じ文化の土地でも、はじめて郷土を離れた2世代3世代は、心持ちは同じではない。孫やひ孫の時代には、もはやありがたさをもって迫る郷土ではない。
鉄道の本線とローカル線とでは、車内の雰囲気に著しい差があることは、しばしば経験し、その地方色は、住民の血縁的構成や同志的影響、ないし文化的社会的遺伝が、地方的に孤立して集積された結果であるが、距離が遠くなるほど、この伝承は、著しい差をもって増すのである。
市井の上で孤立しやすい地域、すなわち半島とか峡谷、高原、盆地が特に強い特徴を持っている。我が国の村落社会の封鎖的共同体的性格は、近い頃まで、典型的な型で保持されてきた。それは内部に向かっては、強い強制力となって表れ、宗教的シンボルによって、精神的にも権威づけられ、固有の生活型に人間を運んでいる。この統制力に服従しえない個人は、その村落社会の成員たる資格を剥ぎ取られ、これが村人間の慣習であるが、これは単に、封建遺制というよりは、共同体の統制力の強靱さが、変形しながらも残存し、それが崩れるところで、種々の弊害を生じたと言える。
こうした共同性と統制力とは、一般に我が国の村落の立地条件が、地勢や風土の関係から、著しく孤立的で自給自足的な集団社会を構成し、村自体が、それぞれ独立した島しょ的性格を持ち、また長期にわたる集約手工業法による強固な定住農耕生活を営んできた生活形態にも負うのであろう。こういうところでは、生産行程の能率の上からも、有形無形の外部からの侵入者に対して、種々の天災に対して、できる限り人間の労力を結集して、一つの中心に組織化しておかねばならなかった。
今日の村が、血縁集団としての家族の他に、地縁集団(結合)としての組やカイト、同族集団としてのマキやカブを構成し、村の氏神や寺院の他に、それらの下位集団が、それぞれ共同の神祀や仏堂や共同墓地を持ち、本家、分家、親方、子方、大家、名子などの本末上下の従属関係に、寄り親、名付け親、宿親、へこ親、エボシ親、ナコウド親、カネ親、トリ親など、通過儀礼にまつわる多数の仮親の風習による「親子なり」の関係や、年寄り、若衆などの年齢階梯が、職能の文章とともに多少とも政治的心理的組織を作り、経済上のオータリティと、文化上の共通意識のもとに、孤立封鎖的性格の形態を、現在まで残してきているのは、その原因でもあり、結果でもある。
★note
仮親(オヤコナリ)
=血縁の親子関係以外の親子関係(社会的関係)
通過儀礼と密接に関係
L人間の関門
生まれてから死ぬまで 同じ村の中
儀礼を伴ってある
儀礼・・・必ずやらなければならない
Age group のランキングが上がった・社会的変化
<図>
生理的親=生みの親→別に親がある・出生の時から始まる
<出産>
「トリオヤ」ー村の中で経験の豊富な女性を親として頼む
産婆=明治以後 それ以前の助産
子供を産む=取り上げる 「トリアゲババア」「コズエババア」
L子据
ババア=敬称 姥(ウバ)
前代の人々は子供が生まれてくることを何と考えていたか
→取り上げる:子供を人間ならざる世界から人間世界へ取り上げる
→子据:生まれてきた子供はぐにゃぐにゃのもので不安定
それをこの世でしっかりとしたものにする
この親子関係は終生続く
<命名>
名前に呪的意味を持って考えた
生みの親以外の人に名をつけてもらう
→名付け親・名付け子の関係
出産、命名において社会的親子関係がある
<子供から大人になる>
村人の教育 寺子屋・・・どこの村にもあったのではない
村(=社会)の社会教育ー村自体がやった →娘組 娘宿
→若者組 若者宿
若者宿・合宿するー自治・自立・厳しい規律・例外なく入る
倫理・道徳 ー 判断・区別
一般の家庭に泊まる →宿親・宿子の関係が出来る
<一人前>
ヨリ親
地主(親昨)・小作(子昨)の関係、親方・子方=土地関係
擬制的親子関係
以上 民俗学概論 了