「民俗学概論(竹田聴洲/1977)」 講義ノート Ⅳ

<第4章 民俗研究の歴史 つづき>

 

前代神威の史料源は、伝説からさらに発展して、昔話による「桃太郎の誕生」(昭和8年)で、ひとつのまとまりが出来、日本が世界にもまれな昔話の豊富な保存地で、桃太郎の話を分析すれば、他の著名な昔話との混同や変貌の様を伺うことが出来るとした。

桃太郎の話は、もと川上から流れてきた童子に関する話で、それは川上を神聖視し、神の子が水に浮かんで示現されるという固有神道の信仰に由来すると論じた。子供の世界の物語として零落したものの、かつては大人の世界の真剣な営みの跡であるのが明らかにされてきたのは、まことに大きな発見というできであろう。

 

★note

桃太郎の話

 明治の義務教育ー小学校の教科書において採録

 本来、口語りで伝えられたもの

 各地 バラエティがある

  桃から生まれるとは限らない・・・くるみから生まれる

     瓜の中に入って、瓜子姫となる

  東北ー山へ行った狩人のかかと(あくと)から生まれた(あくと太郎)

  賀茂社の縁起ー丹塗りの矢が川上から流れてきた

   「山城国風土記」に載っている

    人間わざと思えないことをやってのける童子

    童子→父がわからない 老婆によって育てられる

       水に浮かんで到達した(川上から流れてくる)

     ↓

    山の彼方に神の世界がある

    神が示現するのに霊物に乗っておられる

     ~太郎・わらべ

    浦島太郎・一寸法師・・・小さい

    →元来、大人の世界の原始信仰であった    

 

昔話に限らず、日本の伝承一般に、外来要素が入っていることがあるとしても、それを受け入れた素地を見逃さず、そうした素地を究明するのが民俗学で、いうならば、新しい考古学であるとする思考が現れている。民俗学をもって新国学とみることは、大正の中庸、彼が海外から帰って一層深まり、事後、大正末年にかけて「海南小記」(九州~沖縄)、「雪国の春」(東北地方)、「秋風帖」(中部)などの紀行文において、国民生活の歩んできた種々な変遷過程は、タテに資料を並べなくても、現代の田舎をヨコに、巡って、種々の時代の残骸を訪れていくことによって、自然と了解できるだけでなく、基層常民の生活史は、むしろこれによらなくては明らかにしえないことを示したのである。そうして琉球の民間伝承が、日本の本土で消え去ったものを、なお多く保存し、いわば民俗学の古事記としての意味と位置をもつことが知らされた。

彼は一人民間信仰のみならず、その後も次々に多くの方面に民俗学的解釈法の可能性を示唆していたのは、まことに「学会」の脅威であった。そうして、この国の常民生活の移り変わり、移りぶりについて、自信に満ちた把握が進められるに及んで、伝説なら伝説、昔話なら昔話、民謡なら民謡で、民間伝承資料の累重と、一応の見通しに立つ説明が施されるようになり、ことに民謡は、追随する学者や研究も多く、それに関連して、舞踊への関心も添えられ、民俗芸術という雑誌も出来、折口信夫も活躍をした。

そうして累重された民間伝承を、上述してきた民俗における方言の重要性の着眼から、方言語彙をもって表示した。索引事書的な民俗語彙が、産育、婚姻、葬送、禁忌、服装、居住、歳事、族制、農村、山村、漁村などにわたって、次々に出版されたのである。昭和初年にかけて。

 

★note

柳田国男

朝日新聞の論説委員ー紀行文

→現在の国民生活の中に常民の生活の過去を断片的に見た

 日本人が本来、固有に持っていたもの

 「海南小記」

  沖縄ー南海の孤島

   L 日本の本土で失われたものが残っている

     日本の土着文化を明らかにする

  外来文化に覆われた、その底にある固有の文化

  江戸時代の国学と同じくするものだが

   江戸時代の国学→文献主義 やまとごころ

   民俗学では、伝承 = 新国学

第一次世界大戦のころ

  産業構造の矛盾・不況

  社会経済史学の勃興  農村社会学

  民俗学・・・広い学問の中で、伝承を中心とした民俗学が

        大きく占めるようになった

  集められた資料を類別して集積する 分類民俗語彙

 

大正の後期には、柳田以外にも、喜田貞吉(「民族と歴史」雑誌)、中山太郎などは、独自の日本民俗学をひょうこうして、多くの論考を発表し、民俗に関する世間の関心をそそったことで、注目に値することであったが、柳田の学派に対して、方法論的な粗雑さを免れ得なかった。柳田の民俗学が、信仰や昔話・伝説から進んで、このころから農村の社会経済的慣行を、古態を伺う方向を示したことは、あたかも当時、勃興しつつあった社会経済史学に、著しい貢献を遂げた。

昭和に入って、「日本農民史」、「明治大正史世相編」、「国史と民俗学」(S.10)が出て、民俗学が、全国民生活の伝統と変遷を知るべき歴史の学問であり、という自覚を明らかにし、また同時に、他方で「民間伝承論」(S.9年)、「郷土生活の研究法」(S.10年)を出して、未開社会を扱う民族学と、文明基層社会を扱う民俗学との方法論上の質的相違を明らかにして、明治風の民族学的民俗学を、あきらかに違った民俗学独自の体系樹立を試みたのである。

明治このかた、固有の民俗学的研究を主流としながら、様々の種類の伝承に亘ってきたものが、一応、部類分けされるに至ったこととともに、その上に立って、独自の体系化への思考を明らかにしてきた。まことに昭和9~10年にかけては、この学問にとって、ひとつの画期(エポック)であった。民俗学が前代常民の生活をあとづけるものだということは、当然、最初から意識されてはいたが、しかし、今や、その領域が一応見落とされ、それが分類され、方法論が自覚され、性格規定が自らの手で行なわれた時、究極において、歴史学に他ならないことが自覚されたことは、極めて注目に値する事である。

 

 

これまでの歴史学は、限られた文献史料にきょくせきして、文字を持たない村人、文字に記されざる村人の生活については、自己反省の術を持たなかった。そうした歴史の空白部分にくわを入れて、真に全国民的な文化史を開拓し、祖先以来の道を守って、村のため、ひいては国のため、営々と働いてきた無数の名も知れぬ村人も、実はそれなりの仕方で、一国文化を担ってきたことを諭らしめようとする経世の唱導には、村人に対する、あふれんばかりの愛情が、これを貫徹している。

柳田を中心とする同志は、昭和10年ころから雑誌「民間伝承」を中枢機関誌として民俗学の普及に努め、子弟協同して、全国の山村、海村を選んで、共同項目によって計画的調査を実施し、その結果を、項目別に分類・概括して出版した。「山村生活の研究」「海村生活の研究」が、これである。この最終事業によって、民俗学に志す者が、まさにその方法を体得したと言えるのである。

そして柳田門下の同学の志は、それぞれの特別問題の研究を目覚ましく、かつ着実に、発展させていった。戦時下の軍国主義的な中では、村の神社は国家の神社として、村の祭りは国家の祭りとする姿が濃くなったが、これは決して日本の常民生活本来の姿ではなく、神社は元来、村人・氏子のもので、その中で村ごとの祭祀組織が、それぞれ独自のかたちをもって形成伝承されてきたので、これを純学問的に研究して、日本社会の理解を促そうとする試みは、柳田国男によっても、行なわれはしたが、昭和10年ころから現行祭儀の民俗学的研究をもって、古代の社会生活究明にあたっていた肥後和男氏は、近畿の宮座を伝承している村々の実態調査によって、神社を中心とした村落生活の研究を行なった。他方、柳田も「日本の祭り」(昭和17年)に、祭りの変遷、殊に、その固有の形について、祭場の標示、物忌と精進、神幸と神態、供物と神主、参詣と参拝、などの面から、これを論じた。その他、祭祀組織や祭りの期日についても論じた。祭りは、村や同族共同体と不可分であるから、祭りの研究が進むと同時に、柳田や門下の学者によって、村の組織や家族制度についての研究が進められたのである。

 

★note

昭和9~11年  柳田国男

 民俗学の理論的大系が意識されてきた

 「民俗学」⇒世を救うための学問である

  従来の歴史学から疎外されてきた無数無名の大衆にも歴史がある

  というより、彼らが日本文化の基本的担い手であった

  経験科学⇒事実の上に立って考える・実証主義

   ↓

  山村生活・海村生活

   京都府ー北桑田郡知井

   大阪府ー豊能郡板垣  が選ばれた

  結果を分類・研究<帰納法>

   →思いもよらない民俗が初めて分かった

昭和16年 民間在野の学問ー柳田の民俗学

 東北大学・京都大学で集中講義・・・東大では受け入れない

 「日本の祭り」東大の自主講演の口述筆記・学生自治会の手による

   →数ある中での名著 角川文庫

肥後和男ー旧東京高等師範学校出身

     京都大学

 はじめ 考古学 滋賀県

 「宮座」ー村落の神社

  村落の組織が神社の祭祀で現れている

  鎮守を祀るのに村中の選ばれた者が祭りに関与する

   複数ー上下関係が表れてくる

  株座方式の村ー代表の者が特定の家筋に限られている

         (権利・義務)

  村座方式の村ー村人に(一般に)開放されている 

         年番 輪番で回ってくる

  村と神社の関係は第一次的なもの

   L氏子としての村

戦時中 国家の神社としてみる(国家の方針)

 →何にも根拠のない事である

 肥後氏

  多数の例の集積ー古代社会が宮座組織の中に隠れていることを立証

 国家がイデオロギーとして強圧していたものとは一致しない

國學院大學(折口信夫)

東京教育大学(肥後和男)ー民俗学研究会

 

 

民俗学に対する関心や興味の普及は、昭和10年代から各地に地方民俗学会が組織され、機関誌を出し、各地の民間伝承が紹介され、資料の数は、おびただしく増加した。

そうした成果に立って、近年、柳田が中心となって『民俗学事典』『総合日本民俗語彙』が公刊され、これまでの知識を整理、集大成したが、これによって日本民俗学は、ひとつの到達点に達したと言える。戦後における画期的な時代は、柳田の蔵書と史料の一切の提供を受けて、民俗学研究所設立されたことである(昭和22年)。経済的、その他、組織面の理由もあって、発足後10年にして閉鎖された。

戦後の重要な研究問題は、以前から問題にされていた民間信仰、ことに氏神、田の神、先祖の信仰、それらと絡んで、イネの信仰などである。また、先祖の信仰は、両墓制の問題関心を促した。

それとともに、沖縄がアメリカの占領下に置かれたという制約にもかかわらず、日本稲作文化の故地、先端地として南島の研究を刺激した。柳田の最後の書『海上の道』は、そうした情勢を背にした、柳田の多年の研究の、ひとつの帰結とも言える。

半世紀にわたる柳田の仕事によって代表される日本民衆史、民間在野の学として行なわれ、ことさら大学に講座を持たなかった。民俗学が常民生活のあらゆる部門にわたり、あらゆる部門の学問が、それに関係し、長く独自の学問的体系を持ち得なかったことと、民俗学の成果と価値が、いわゆる文献を偏重する正統学派から、一種の偏見を持って十分に評価されなかったことが、大きな障害になった。しかし最近における民俗学は、次第にそれらの偏見が除かれ、大学で講義も持たされているが、まだ専攻課程が置かれるまでは至っていない。

 

★note

終戦直後(昭和20年~)

マルキシズムの全盛ー人文・社会学界(学問・思想の自由)

 ↓    L戦中の弾圧

民俗学

 ・民俗文化の伝統は、戦争の影響を受けるものではない

 ・マルキシズムからの批判⇒階級の立場に立たない・所詮はプチブルの学問

 ・アカデミック(大学)から閉め出され

 ・民間在野のサロンの学問として発達してきた

  →自由な研究が保証されてきた

 「転向」した共産主義者・・・志賀義雄(共産党から除名)

   L柳田国男に師事

戦後(昭和30年~)

 民俗学・柳田ブーム

 戦後の思想史の一つとして取り上げられてきた

 『展望』筑摩書房

  柳川啓一   「官の科学、野の科学」

           L東大・姉崎正治(朝風)

  ↓

  姉崎から3代目の主任教授

  宗教学の講座を設けた

  日本宗教学の草分け

  ↓

  現在あまり知られていない

  知らなくても宗教学について学べる

 「野の科学」・・・柳田国男

   東大・法学部卒

   官僚から出発

   ・農政学

   ↓

   思想史の上で位置づけられる

   近代の超克

   Lヨーロッパ先進諸国のようになっていくのが近代である

    そうなっていないのは遅れているという考え方

 それぞれ民族、国家には、いろいろな型がある

   それを知らずに欧米諸国が近代国家であるという

   単純な考えは、間違いである

 歴史=過去の知識の研究 

      →生来の展望を持つため

    伝統というものを正しく認識しなければならない

 戦後の日本は、急激な近代化・物質文明

   ー欧米風になるのが理想であった

 現在、それを達成した

   →はたして日本人は幸福になったのか?

    公害とかの問題も大きくなってきた

 実績をもった学問として民俗学が注目されてきた

 

 民俗学研究所閉鎖

  ・膨大な資料→成城大学に寄付・・・柳田文庫

    条件「南島の研究に利用すべし」

    日本民俗学会の事務局

  ・最後の著書『海上の道』

    日本人はイネの穂を携えて南海諸島からやってきた

    沖縄は同じ稲作文化

     →根拠=イネ イネの信仰的儀礼

 

         同じパターンに属する

    弥生以後の日本民族は南方からやってきた

    (南方起源説)

      Lこれを立証するために彼の一生もあった

    <対>江上波夫「騎馬民族説」

      「東洋考古学」朝鮮半島を経て日本に入ってきた

 

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