音楽CDの話

<音楽CDにまつわる話>

音楽好きと蒐集癖が高じて、集めたCDが・・・・

 

音楽を聴く様態の変化について 2012年版

かつて、ヒットチャートのランキングの元になっていたのは、アナログレコードの時代であっても、その後のCDの時代であっても、タワーレコードやHMV、京都なら十字屋など販売店のレコード売り上げ枚数でした。それが今では、従前の売り上げランキング以上に(こちらも絶滅したわけではありませんが)インターネットからの楽曲ダウンロード(回数の)ランキング、という指標が出てきました。そしてそれが主流になりつつあります。


つまりコンピュータ的に言えば、データ=「形の無いもの」を、それぞれ個人の持っているPCやスマートフォンに取り込んで、その情報を「購入」しているのです。購入者は、そのデータを音楽再生ソフトを使って聴くことになります。販売する側(制作者・レコード会社のことで、小売店のことではありません)からすれば、データ提供の仕組みさえ作っておけば、これまでのCDのように、それを書き込む為に、CD盤を用意して工場で大量に製作する必要もなく、コストもかからずに無限に販売できることになります。また形やモノにこだわる人向けに、歌詞カードやジャケットなども、購入時にダウンロードしてもらうことが出来ます。これについても歌詞のデータ、ジャケット写真のデータであり、購入者側は、自前のプリンターから、自分で用意した紙にプリントするわけですから、販売側としても一つデータを作っておけば、あとは無限に販売できることになります。

 

そういう時代になってしまった(なりつつある)のかもしれません。音楽を聴くのは、外であろうと自宅であろうと、再生可能な情報機器(i-pod i-phone MP3player etc.)があれば十分、レコードやCDは、買えば買うほどかさばるし、収納に困るのですから、いいことずくめ・・・・、なのでしょうか。一方で、先述した販売する側(儲かる側)の範疇には、CDを店頭に並べて販売している小売店(大型店舗も含む)はありません。昨年でしたでしょうか、ある新聞の小さな記事でしたが、神奈川県厚木市にあった小さなレコード店が閉店することとなり、アマチュア時代にその店にお世話になっていたという「いきものがかり」のメンバーが訪れて閉店を惜しんだ、という内容を読んだことを思い出します。京都でも、河原町今出川にあった「津田蓄音機店(通称:ツダチク)」が昨年閉店しました。また渋谷にあったHMVも一昨年の夏ごろ閉店したことが大きな話題になっていました。音楽を聴きたい人は、わざわざ店舗に買いにいかなくても、インターネットに接続された端末さえあれば、それ(情報)を買うことができるのですから、CDは売れなくなるのは当然のことといえます。


この状況について、昭和の中期~後期に青春時代を過ごした者(=私)として、なんとなく寂しいようか感覚があります。そんな時代の人間は、やっぱり音楽は、レコード(CD)ショップに足を運び、買ってきて、自宅に鎮座しているオーディオに乗せて、聴く、というものなのだという固定観念があるのかもしれません。といって、この時代のことですから、外に持って出るなら、その代替物として(あくまでも本体の仮の姿として)ファイルを圧縮してダウンロードした携帯プレーヤーで聴けばよい(これなら許せる)と思っておりますし、購入するのだって、アマゾンなどのネット通販なら、コアなジャンルのCDであっても、瞬時に注文出来、少なくとも2日後くらいには手元に届くのですから、便利な世の中になったこと、その恩恵に預かっていることも認めざるを得ません。


ところで、茶道には、いにしえの時代から、お茶をいれてふるまい、飲む、までの一連の行いに、定型的な美がありました。それと同じように、かつてアナログレコードで音楽を聴くときにも、なんとなく「型」のようなものがあったのではないでしょうか。単に音を聴くだけでなく、聴く前の所作、聴いたあとの始末の所作などに、個人それぞれの形式美のようなものがあったように思います。紙ジャケットから内袋に入ったレコード盤を取り出し、レコード面に手が触れないようターンテーブルに慎重に置き、そして、ピックアップを手でつまみ、あるいは人差し指を添えつつ、レコードの溝に針を落とす、少しのがりがりという導入前の溝をなぞる音、そしてアーティストが思いを込めた1曲目・・・・。聴き終われば、磁気をもった盤に、専用の布製のクリーナーで軽く拭いて、内袋に収納、そして定位置に戻す。人により、丁寧にするか簡単に済ますか、それぞれあるでしょうが、レコードの場合、レコード盤に針を落として音を聴く、という行為なくして音楽に触れることはできません。これがCDになった時でも、やや行程が省略された感はありますが、光の針をCD盤に照射して音を聴く、というところは外せません。音楽(アーティストの奏でるパフォーマンス)を聴くのに、これだけの手間をかけているのだから、しっかりと聴いて楽しむ、といった意識も強くなるのではないでしょうか。少なくとも、小さなプラスチック製の箱のボタンを押し、電車に乗って、歩きながら、聴いているだけでは、受けとめかたも変るのではないでしょか。


私からして、自宅でCDを聴く際は、特に買ってきて初めて聴く際は、なんとなく心ワクワクして聴きますし、逆にそれをウォークマンなどに転送して戸外で聴く際は、どうしても、ながら聴き、ということになります。また自宅で聴くときには、アルバムのジャケットやライナーノーツもチェックしつつ聴きますので、心して、かつそこそこ時間をかけて聴くことになります。


と、ここまで書きましたが、PCにダウンロードして、それを専用のソフトから、連動しているオーディオ機器・スピーカーに出力して聴き、歌詞や解説は、インターネットで確認する・・・、このことが音楽を粗末に扱っているのか、決してそんなことは無い、思い入れを強くして聴くことだってあるではないか、という反論もあろうかと思います。確かに、同じ音楽なのですから、どこが違うと言われれば、それ以上の区別をするものではありません。そのとおりです。ただ、なんとはなしに、形が無くて、データだけで、聞こえる音、聴く音楽、というものに、空虚な想いがつきまといます。


以上は、あくまでも、個人的かつ感傷的な、アナログレコードに対しての惜別の念からくるものだと、お断りしておきます。

レコードからCDの時代へ<随想>

アナログ・レコードの末路


昭和の末期ころだったろうか、レンタルレコード店からレンタルCD店に移行しようとしていた頃。それまで「レンタル」されて酷使されてきたアナログ・レコードは、その任を終え、新しいメディア、小さな円盤(CD)に取って代わられる運命にあった。

 

そしてそのアナログ・レコード盤の行方(ゆくえ)といえば、「中古レコード一斉処分セール」などと銘打ったバーゲンの主役として最後の花道を飾る以外に道はなかったのである。

 

店の方針にもよるだろうが、あの当時、まだレコード・コーナーを存続させつつ、徐々にCDに移行した場合もあったが、大方の店では、レンタルするメディアを一機に変更したものである。それはそうであろう、今までのレコード盤であれば、レンタルされ、借り主が聴けば聴くほどその商品が消耗し、場合によっては、溝に傷が付き、音飛びなど日常茶飯事としてあった。さらにその場合、以後の商品としての価値が無くなるわけだし、また中古として販売するにしてもわざわざ音飛びする商品を買う者も無いだろう、という現実があった。

 

またアナログ・レコードを貸し出す際や返却の際には、店員による「検盤」が必須の手続きであった(中古レコード店などでもこの「検盤」は行なわれていて、購入者自身による行為も推奨されていたし、僕も結構レコード面に手をふれないように扱うのが得意だった)。それがCDになったことで、簡単な「検盤」は存続したものの、アナログ・レコードほど注意深く検査しなくても、傷などの心配はほぼ無い、という状況に変化した。

 

レンタルしても、アナログのように、擦り切れた音を聴かなくてもいい、つまり何度レンタルされ酷使されていても、録音された音は劣化しないという状況になったのである。画期的なことであった。

以上のことから、面倒な扱いを余技なくされるアナログは早々に処分し、より効率的なCDへ一機に移行してしまえ、というのは当然の成り行きであった。その他、コンパクトになったことも大きい。アナログ・レコードの場合、アルバムサイズだと、普通のカバンには収まらない。昔、京都には「REC」というチェーン店があったのだが、そこでLPレコードがスッポリ入るショルダーバッグを売っていて、僕は、そのバックを買った(今でもどこかにあると思う)。パラシュートの生地で作られたオシャレなバッグで、3枚くらいのLPは楽々収納できた。そのバックを店に行くたびに持参したものだが、正方形のやや大きめのバックなので、レコードを入れる以外の用途にはまったく使えなかったことも印象としてある。

 

そんな頃(やけに前置きが長くなった)、中古レコードとして大量に放出されている店をいろいろ探して、それなりの値段を見計って「買い時」を考えたものである。その値段のランクにも、やはりミュージシャンの「格」によってさまざまな設定がなされていた。そして(それが言いたい為にここまで引っぱった)、そんなランクの、最下位のレコードの中、というのか究極の値段(?)設定として「ご自由にお持ち帰り下さい(無料)」というジャンル(というのかコーナー)があった。

 

そのミュージシャンが誰であったのかは、今は思い出せないのだが、店先に無造作に置かれたダンボールの中に、「こんなもん誰も聴かんやろ!」というLPレコードがひっそりと、しかもぎゅっ、と詰め込んだ状態で置いてあった。売れないアイドル、売れない新鋭のバンド、効果音の特集LP、特定の学校の何周年記念とかで作ったLP、落語、民謡、童謡・・・・・しかも、店先に放置されているためにホコリやらスス、排気ガスなどで、そのLPに触れるだけで、手が真っ黒になってしまうようなシロモノである。いくら無料であっても、持ち帰るだけで家族から顰蹙(ひんしゅく)を買うことになりそうな状況にあるLP達である。そんな人たち(歌っているのは確かに人だが)を、僕は見るに見かねて、手で持てるだけ、持ち帰れるだけのLPを買った(?)、というより、もらい受けたことがあった。おかげで「手」だけでなく、上着まで汚れた記憶がある。しかし、それは、その行為は、僕自身の消え行く者たちへの微力ながらの弔い合戦だった(大げさ)。

 

あれだけアナログ・レコードがもてはやされ、みんなこぞってレンタルし、溝をナゾリ、傷つけ、ピシピシという音にがまんして、カセットテープにせっせと録音して、音楽に親しんでいた、そのレコードが、いままさに、時代の流れでCDに取って代わられようとしていた。しかも売れないLPはこんな姿でさらされて・・・。断末魔の様相を呈していた、それらの「無料LP」は、抱き上げて、あわよくば、もう一度、花を咲かせてやりたい、との愛が芽生えたのである。

 

僕はホント、感情移入しやすい人なんです。

 

 

CDの末路

 

CDのレンタルショップなどに行くと、レジの付近にワゴンがあって「中古CDセール」などと書いてある。ワゴンの中には、レンタルに使用して旬を過ぎたCDが300円とか500円の値札を付けて並べられている。

 

そもそもCDは、大手レコード会社が製作し、お店に卸し、それをリスナーが買う、という一般的なルートの他に、レンタルCDの業者が大量に購入し、それを貸し出しして2次使用で儲ける、というルートがある。B'sやSMAPなどのビッグネームのアルバムになると、レンタルショップ1店でも同じタイトルのアルバムが数十枚並ぶ。そしてある程度「旬」が過ぎると中古として販売されることになる(旬を過ぎるというのは、売れているアーティストの場合、次のアルバムが発売されレンタルされる頃のことを言う)。そして中古といっても、かのビッグネームの場合、新譜正価が3000円だったとして、2250~2500円という設定になったりする(さんざんレンタルで儲けておいてまだ儲けるつもりか、という印象を僕などは受ける)。これがさらに一定時期を経て1980円くらいに設定されることになる。ただしこのあたりの価格帯の中古CDは、まだまだ売れる商品として棚に並べられていたりする。腐っても鯛、という感じだ。この類はワゴンへ行くことなく、ふたたび新しい買い主のもとへと嫁いでいくことになる。

 

ところが例に挙げたビッグネームでなく、そこそこのアーティストの場合はやや事情が異なる。旬を過ぎるというのは、その曲なりアルバムがヒットチャート、売れ行きランキングの順位表から消えることを意味している。同時にそのアーティスト自身の人気も下降していることになる。「一発屋」などと呼ばれるアーティストも同様で、その存在自体も時が過ぎれば忘れてしまう。こういったアーティストのCDは、レンタルの用を終わるとワゴンへ直行となる。

 

これらのワゴンに並べられる(というか無造作に入れてある)CDには大量消費社会の終末感が漂っていて、僕としてはとても心をひきつけられるものがある。「あ、やっぱりこのアルバムたくさん出したけど売れなかったのかな」とか「前作に引き続きこのアルバムも並んでるやんか」とか「こんなグループ名一度も聞いたことないな、それにしても安易なネーミングや」とか「このアイドル歌手このまえヘアヌード写真集出して話題になってたな、歌手には向いてなかったんや」とか、などなど、ワゴン内にうごめく人生模様を想像してしまう。

 

そんな中にもキラリと光る、これはこんな安っぽいワゴンの中に入っている場合ではない、というCDがある。しかも安い。値段を付けた店員は、このアーティストのすごさを知らんのかいな、と思ってしまう。時期を過ぎて残った本はすべて100円にするブックオフでさえ、CDの値段については、なかなか購入者の足元を見たシビアな設定にしている(なんで本と同じように100円にしないの、と言いたい)。ところがレンタルショップは、その中身の重要度指数が、オリコンとか歌番組での人気度合いを基準にしているきらいがある。時として、掘り出し物があるのはそういうことだろう、と思っている。 

 

 

中古CDの値段と買うとき

 

ツタヤのようにワゴンセールの中に掘り出し物があったりすることはよくあるが、中古レコード屋が中古CDショップになっているような、ある意味「中古専門店」では、その値段は分相応な設定になっている。

 

上物(まだまだ現在もヒット中)は、正価3000円のCDであっても2500円~2700円くらいの設定になっている(その店のかなり強気な姿勢が見て取れる)。それがやや旬を過ぎると2000円前後に下がる。仮にこのあたりの値段設定の場合、僕は、どうしても欲しいCDがあったら、中古は買わずに、新譜(新品)を買う。ちょっと安いだけなら、新品を買った方が気分的にはいいからである。

 

困るのは1580円とか1380円あたりの価格で、これ買っておいてもいいな、と思うCDである。ほぼ新品の半額になっている。したがって新品なら2枚買える。サザン・ロック系のCDがこのあたりの価格なら迷うことなく即買ってしまうが、出来れば持っておきたいな、とか、一度じっくり聴こうかな、という類のが困る。そういう場合、どうするか。

 

まずそのCDを抜き出し、並べてあるコーナーの一番前に置いておく。こうしておくことで、店内の別のコーナーへ行ったときでも、戻ってきたときにすぐに発見出来る。また本棚のように横に詰めてあるときは、そのCDを2cmほど浮き出しておく(この場合、他の場所へ移動している間に店員が来て押し込んでしまい、わからなくなることはよくある)。

 

1500円前後の買うべきか買わざるべきかのCDが、何枚かリストアップ、というより、自分にとっての目印をつけたところで、少し頭(このCDが欲しい!という感情)を切り替え、というか意識をレベルダウンさせ、値段シフトへモードチェンジするのである。つまりワゴンセールの方へ向かう。そこで50円とか100円のCDをくまなく品定めする。旬を過ぎたアーティストでも、まずまずの楽曲が入っているとか、いろいろ自分なりに、だましだまし・・・・。たとえば、それらをまとめて5枚ほどピックアップする。100円のなら500円だし、50円のなら250円にするかさらに5枚を加えて10枚ピックアップする(どうしても9枚しか選定できなくても、そこはぐっとこらえてというか、無の状態で、「女性シンガー」というだけの理由などで無理をしても10枚に合わせる、このキリの良い数字がいいのだ)。

 

その500円分のCDを手に持ち、さきほど目印をつけておいた中から1枚を選ぶ。1500円なので、合計で2000円となる。しかもCDは多いとき11枚になる。そこでこう考える。「2000円で11枚も買えたやないか、1枚あたり180円くらいになるな」と。もうその時点では、1500円の迷うべきCDの存在は、他のクズCDの中へ埋没している。

 

帰ってからそれらの11枚を丹念にチェックする。「おっ、女性シンガーということだけで買ったけど、バックのミュージシャンにいい人いるやん」とかいう発見があるわけだ。

 

→こんなことしていたらCDも増えるわな。

 

 

2枚目のCD

 

以前に買っているのに、また2枚目を買ってしまうことがたびたびある。新譜で買うような「お気に入り」のアーティストの場合はまず起こらない出来事なのだが、100円とか50円などでワゴンセールになっているCDでよくある(いやいや500円くらいのでもよくある)。

 

常に所蔵しているリストなどを持っていればチェックできるのだが、たいてい中古CDを買うときというのは、たまたま立ち寄って、たまたま見つけて、という状況が多いので、わからないのである。「100円なら買ってもいいか」と思うようなCDは、特に所蔵していても、そう強い思い入れがあるわけでもなく、買った時点でさえ、なにかついでに、という、あいまいな感情のまま買っていることが多い。したがって年齢的にも記憶のシナプスが減少している不確かな状態で、「おっ、これは持ってないな」と思ってしまう。というより、このアーティストでこの値段か、という思いに至ってしまう(きっと1枚目のときも同じ思考回路を経ているはずなのだがその記憶は無い)。

 

その後、家に帰り、CDをエクセルに入力する段になり、「えっ、持ってるやん!」ということになるが、後の祭りである。一応、枚数としては増えているので、エクセルの一行をコピーして貼り付け、同じデータが並ぶこととなる。

 

なぜか虚しい作業である。

  

所蔵CDリスト

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2011年4月現在の所蔵リスト。
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