第3章 方法論
Ⅰ 史料としての民間伝承
史料は、普通には文献史料を指し、民衆にとっては疎遠である。しかし民俗学は、伝承を史料として過去を復元する。考古学は、遺物遺跡で歴史の上の方の空白を満たすのに対し、民俗学は、伝承で歴史の両横の空白を満たす。民俗学は〈A 現在学〉すなわち現段階において民俗の持つ意義を見出すか〈B 過去学〉すなわち民俗の変遷過程を明らかにするかについて、戦後、民俗学会で論争が行われていたが、AはBを前とし、Bの結果、Aか分かるのであり、伝承は残存で繋ぎ合わせて、元の姿、すなわち文献の伝えざる隠れた歴史を遡及、さかのぼる。その歴史は、時代遡及的であるが、変化は常に全国一律でないから、そこに時代区分は成立しない。ただ民俗の発展系列、前後関係、すなわち相対年代が明らかになるのである。
★note
・史料 ― 歴史の材料として
・資料 ― マテリアルなもの
→? 民俗学は歴史学に含められるのか 論争
A 現在の伝承を研究する、その意義を見出す
B さまざまのプロセスを経て今日に至ったか、過去に目を向ける
∟広い意味で歴史学といえる
・・・論争の対象となるべきか
「現在学」と「過去学」に分けることは意味がない
←
過去を知らなければ現在も理解出来ない
両者は、一つの事の裏と表を言っているようなものである
これを史料とする歴史
歴史学;古いもの→新しいもの
民俗学;新しいもの→古いもの (逆)→歴史学と違う点
民俗というのは一律ではない、バラバラである
古いものと新しいものが雑居している
歴史学の考える「時代区分」は、ここには成立しえない
歴史←文献・記録
民俗学→前後関係(相対年代)、発展系列
しかし歴史である=書かれざる、文献の伝えざる、隠れた歴史
Ⅱ フィールドとしての村落と都市
生活のあるところすべてに民俗はある。従来は、都市よりも村落を重視してきた。村落は都のように、外来文化・知識文化・高度文化によって、土着根生いの文化要素がスポイルされることが少ないためで、そのために村落でも、ことに僻村(へきそん)が好フィールドとされている。しかし都会からの文化的距離は、地理的距離と同じでなく、その遠近は主として交通量によるところである。
★note
遺物をもたない
伝承をもたない ということはなく、どこでもある
↓
従来からの民俗学は村落
古い形は村落に多い
都市=村落よりも成立が新しい 文化が濃厚に存在
後の要素によって打ち消されている場合が多い
村→・近郊村
・遠隔地にある村ほど固有のものを残存させている場合が強い
→文化的距離が遠い(地理的に遠いということもある)
交通量の少ない所
例)
1.京都における北山地域(地理的には京都に近い)
交通量が少なかった
八瀬・大原の漬物「すぐき」を頭の上に乗せて売る
頭上運搬 ― 伊豆・沖縄・対馬 (離島)
共同井戸から汲んだ水を頭の上にのせて運ぶ
この習俗が古いという証拠である
2.亀岡・畑野の千ケ畑
電灯がついたのは昭和19年
3.長崎・平戸から海を渡って生月島がある
漁村 ― 能登半島まで出魚
全村、煌々と電灯が付いている
Ⅲ 現地採訪と文庫作業
採訪は、考古学の発掘にあたる。しかし民俗は必ず背後生活との全体関連の中にのみ存在するので、要は、一定の土地(村落)における一定の習俗の存在を確かめ、それが全体の発展系列の中で、いかなる位置を占めるかをみることである。言い換えれば、民俗の存在する土地は如何、逆に、その土地に存在する民俗は如何、とみることである。
その系列の事例(民俗的)現段階で、どこまで収集され系列化され意味づけされているか、未知の同系の民俗学があるとすれば、どういう可能性の予想される土地であるか、いかなる性格を過去に持つ土地であるかを、予め検討しなければならない。これが文庫作業であるが、具体的には、地誌、地図、統計、民俗報告、専門書、学術誌、辞書、語彙などによって、目標民俗の他の土地でのあり方を予め調べる作業は、採訪のメリットを大きく左右する。採訪では、特に聞き取りが大切である。
良き伝承者を発見して、そこから所在の知識を余すところなく採集する。その土地の平均知識度が、伝承者を求める一応の目安だが、常に必ずそうとは限らない。聞き取りは、一種の技術であり、見習うほかはない。特にHospitalityの心理をよく理解して、相手に接することが大切である。
★note
自分のやりたいテーマ、研究したい事柄
①そのことについて、どこまで明らかになっているか
②少しでも推し進める為に、どこを調査するか
今までのデータの分布状態、目標を打つ手続き
→判断する
③場所について、その土地はどういう土地であるか-文庫作業
歴史、地理、社会的に調べる(机上で事前に)
土地に関する知識・・・県史、市史、地図、統計資料
そのことはないが、他の民俗について報告がある
例)
婿入り婚の普及―若者宿と密接に関係
婚姻の儀礼 足入れ婚
いまだ知られざる婚姻の残存があると思われる
④フィールドに入っていく
対象領域 ―有形、口頭、心象
およそ民俗現象は目で見ただけでは分からない
3つがお互いからみあって存在している
基本として聞き取りが重要
目で見てわかる→食事 どぶ酒
その土地では、いつ、どのようにして作るのか地
食制-濁酒を造る時期が決まっているか
餅
赤飯 通過儀礼
隅から隅まで、すべて、その土地に存在する知識を余すところなく調べてくる
誰に聞くのか→経験の深い人=古老
対社会的に交渉をする人・・・女より男のほうが多い
「忌」の概念
タブー 最大なもの=死の忌
血の忌
ある面では神聖、ある面では悪い
血の忌の対象 ― 月経 お産
Hospitality;もてなす 歓待する
ホスピタリティの精神
従来の村落=封鎖された村 その土地で一代を終わる
よそ者の想像することの出来ない感覚
親密 世間が狭い closed society
村←→外 よそ者(どんな悪いことをするかわからない)
知らない世界 ・災害をもたらす可能性(排除)
・未知の恩信をもたらす可能性(歓待)
村人の微妙な心理をわきまえる
不信な行為をしない→歓待される―ホスピタリティ精神
質問に関しても相手の立場にたって聞く
Ⅳ 民俗語彙
常民社会の命名は、常に即物的、印象的な一面をとって命名されるので、逆にその命名は、その事物がその土地で如何なるもので印象されたかを、よく物語る。
★note
キノコ →サルノコシカケ
→キツネノコシカケ
漁船 →エンヤー(掛け声の印象)
→エンヤモッコ
葬式 →ガンモウ
→ジンアン
(葬送の鐘の音は葬式の時にしか聞かれないので印象的に命名される)
民俗は無くなっても、かつての言葉が残って民俗を暗示している
同じ物が別の言葉で言われる
同じ言葉が別の物で言われる
事物の名称との関係は
1. 事物が消滅して言葉だけが残る
2. 同種同一物を別名で呼ぶ
3. 同語が土地によって別物を指す
のように、食い違いがあるが、この食い違いこそが、民俗の変遷過程を示すもので、採訪に最も注意を要するところである。
方言辞典は、方言を言葉としてみる辞典だが、民俗語彙は、方言を民俗としてみる事典である。
1.言葉だけが残る・・・地名
蓮台野-かつて葬送の場所として町はずれにあった
賽河原・西院
sa-i sai-in
「六国史」では、佐比・・・京都の葬送の地
大将軍;将軍塚のあった場所
東山は今もある 西ノ京には今はない
2.3,は重大な意味をもっている
方言辞典・・・すべての品詞、言葉として収録
民俗事典・・・名詞が多い
一人ではできないもの
年中行事→田植え
何年かに一度(一定の年数)→屋根ふき
不時のこと→火事、病気、葬式
例)
屋根ふき(わら屋根)
長所 快適である
短所 火に弱い 屋根がえ
米のわら→7年
小麦のわら→10年
茅→30年
労働力を結集しなければならない
やれる時期 7月~8月
使うわら-今年出来たもの
夏至(日が一番長い日)-農作業が一旦済む
古いわらを除ける
新しいわらを乗せる → 多数の労働力 短時間で
<図>
・材料が要る(わら)→一軒だけでは揃えられない
・労働力が要る →一軒だけではできない
・・・全てがかたづけられない
↓
交換労働
こういう方法を、土地土地で何と呼ぶか
〈言葉〉
1.手間かえ 手間がり 手がえし 手間わり 手間もどし
2.ゆい ゆいしょう
同じ事を土地によって別の言葉で呼んでいる
1の手間がり等の言葉
手=労働力 返 戻 替
交換の印象で名づけられた
社会的に同列、同等の家同士
ピラミッド型(上下関係)では生じない
2のゆい
結び 労働力を結集する
親類・親せき・・・手伝いにいく事 手を貸しあいする
↓ 集団のこと
労働力
交換労働―結集(ゆい)→親類・・・屋根ふき
=交換労働の以前にあるもの
Ⅴ 周圏理論と重出立証
伝承の形態発展は、時間的前後関係を反映している。理論的前提は、考古学のそれと同様である。考古学の遺物発掘も、民俗学伝承の採集も、ともに現在においてであるが、そこから過去を復元するのに、性格・形態が時間的発展系列のそれぞれの段階の目印となるという点で、歴史科学として、この2つの学問は、同じ考え方に立つ。それは様式的関係としての横軸を時間的関係としての縦軸に引き直すということである。
考古学の史料の出土状況と同じく、民俗資料も、その存在データの如何によって、資料的価値は、大きく左右される。考古学は原則として、下の地層は上の地層より古い率を包含するが、それにあたるのは、民俗学では、文化的距離関係で表し、文化の中心から、より遠いものは、より近いものより古いとするのが原則である。
日本は固有文化の地盤の上に、外来文化の注入を受けて、間断なく、これを同化援用させてきたが、注入、摂取は、都府畿内など文化の中心でまず行なわれ、時とともに、周辺部に波及するという経過をとった。池に石を投じ、生じた波動が、地辺に至ると、微かになるように、後々の文化波動によって、中心部では、前代の文化は消し去られ、辺部では、中央からの影響は少なく、前代文化の残存する可能性が高い。
★note
様式年代 相対年代
古い新しいの基準
考古学-地層
民俗学 資料=生活の中に埋没している
<図>
日本民族-固有の文化を持っていた
具体的な日本の文化・・・大陸・異質の文化を同化してきた
統一国家が出来た時期が著しい
<図>
大陸 → 日本 「→薄 外来文化を受けず固有文化温存
dcba(M)abcd
L→濃 固有文化が失われている 外来文化
まったく外来文化を受けない日本民族
固有の文化
↓
波及する前の鏡のような状態
中心から遠いほど固有の文化を持ち続けている度合いが高い
a<b<c<d(古い)
・出土状況が分からないと良い資料とは言えない(どこで出たか)
・2つ以上出ていないと学術的に価値がない
・その土地に土着の習俗でないといけない
これらの距離は、地理的距離とは一致しない
文化的距離という
L表すことが出来ない
仏教の伝来→6世紀=中央に伝来した時(点に伝わったということ)
面(日本全土)に伝わったのではない
逆に言えば、国の文化中心から、遠く離れた辺境で、一致するのは、中央では消えて、遠辺なるがゆえに残存した、より古い姿と言える。この場合の遠近は、どこまでも文化的遠近であり、地理的遠近ではないが、交通の未発達の状態で、東北のような地理的に遠いところは、文化的にも、また遠い所である。遠くの一致、近くの不一致という現象がここから生まれるが、こうした伝承は、きわめて古い可能性が強い。東北端と西南端との間で、中央を素通りして直接に文化が運ばれるということは考えられないので、これは、かつて全土を覆ったものが、中央では消え、遠辺では残った結果と言える。伝承を一つの発展系列に位置づけるには、伝承自体の性格、形式及び、先述の呼称とともに、その存在する場所、つまり地理的存在形態如何が、重要な目印になる。
方言、民俗の地方差は、時代差に他ならないという理論は、周圏理論と言われる。柳田国男は、名著「蝸牛考」という書物で、蝸牛の方言について、見事に周圏理論を実証したが、古代文献に記された女性司祭は、姿を変えて、東北のイタコ、沖縄のノロやユタに古態を留めている。ともに神を齋(いつ)く、イチコ傾向の言葉である。一般には、部落の産土鎮守を指す氏神は、東北地方の事例では、同族神をウチ神、九州の南端でも、やはり同族神をウツガンというのは、氏神の本体を示すものである。
★note
<図>
かつては日本全土にあった
外来
↓
辺境 中央 辺境
(残る)---(消える) (残る)
| 一致しない |
L・・・・・・・・・一致する
その実例 柳田国男
蝸牛
↓
5つのルーツ(語根)を発見
1.デデムシ系:ほぼ全国的(南、西九州除く)
2.マイマイ系:関東・中部・紀伊・中国
3.カタツムリ系:山形・秋田・伊豆・紀伊
4.ツブリ系:福島・石川・長崎・佐賀・熊本
5.ナメクジ系:九州一円・青森
ナメクジ系 九州と青森(遠い)偏在 ←→ デデムシ系 遍在
今で言う「なめくじ」と「かたつむり」→かつては同じ名で呼ばれていた
(家を持っている)
これらは方言である、これを習俗にも当てはめることが出来るのか
周圏理論 - 習俗についてもいえる
・氏神「この村のお宮さんは何処にありますか」ー分かる
「この村の氏神は何処にありますか」ー分からない
↓
ex 東北地方「何処の氏神か オボツナサンのことか」
|
同族集団(マキ・マケ)で祀っている神
中国、丹波地方「カブ」
その他 ウチワ イッケ クルワ
ヤウチ など
ウチガミ ウッドン(ドン=殿)
ウヂガミ ウッガンサー(内神様)
ソトガンサー(外神様)
・巫女 ミコ
ユタ イタコの姿が定着して ミコ
L神がかりして動き回る
→神楽舞→神社から発生
梓神子(あずさのみこ)・・・中央にも居た
「梁塵秘抄」「平家物語」
しかし周圏理論は仮説で、一つの目安である。民俗の残存、周圏の中心を畿内や都府において考えることを、すべての場合に一般化出来ない民俗は、一般に非常に複合的性格を持っているから、具体的現状には、地域社会が受けた特殊条件が珍しくない。ものによっては、地域的中心が存在し、周圏的でなく、どちらか一方から一方へ系樹的に延びることもある。あまりに固執すると結論を逆に方法に用いる方法を犯しかねない。
つまり、実は系樹的であるのに、周圏理論を信仰するあまりに「~でなくてはならない」として実態を見誤る。これを念頭において、どこまでも一応の仮説として、着実な立証法に則して、民俗の古さ、新しさを検討すべきである。
★note
墓制
両墓制・・・村落の中でも僻村(山の中)
埋墓(集落から離れた山方)
詣墓(集落の中か、近いところ)
↑
土葬についてだけ言える
<図>
土壕 土が余る→後、平坦になる
<執着しない>
<埋墓はいつかなくなってしまう>
・墓地 位置と面積が決まっている
石塔を立てることは禁じられている
・埋墓を詣る期間 定められている
ex 兵庫県多紀郡:埋めた次の日から詣らない
6㎞離れたところに埋墓がある
火葬ー仏教
都市・・・根生いの人居ない
埋墓の上に石塔を置く
詣墓の下に骨を入れる →単墓制へ
↓
両墓制のほうが単墓制よりも古い
|
<関東・中部・近畿・四国東>
↓
周圏理論に反する
※詣墓が石碑であったか
石塔以前の詣墓はどんなものであったか分からない
周圏理論自体、民俗の比較、帰納が基本的研究方法を物語っている。民俗が各地で異なることは、比較を可能にもし、また、必要にもするわけである。言い換えれば、それが可能な根拠を与えることで、重ね写真式につなげ合わせ、どこの部分が共通であるのか、どの部分が後事的であるのか、付加的であるのか、全体発展の経過像を構成、導き出す。伝承は、いかに珍奇にみえても、一つだけでは比較が出来ない。したがって学問の対象とはならない。ここに猟奇・好事との違いがあるのである。
★note
民俗 = バラエティ → 比較
出来るし必要である
【方法】
同系列をつないで、発展系列を明らかにする
どこがプロパーか、どこが後から加わったものか
あるところでは
1) a b c d e f
2) a b c d g h
3) a b g h i j
4) g h k f
上の 1) の場所と、4) の場所との比較ー共通の事例は何も無い
しかし 2) と 3) の事例を挿入すると何も関係ないことはない
(a b)(g h)は、通有的である
固有のものは変わりにくいであろう
歴史的、社会的条件での付加物による変化はあるにしても
根生いのものは変わらない
↓
より本質的なもの ネイティブなもの
(a b)は根生いの色彩が強い
(g h)
(a b)と(g h)と、より本質的であるのか
歴史発展の中でとらえる
(a b)→(g h)か
(g h)→(a b)か →決め手 →周圏理論
同時に存在か →重出立証
【その例】
僻遠地 村の中に「本家と分家の集団グループ」
同族団(学術用語)
生活協同を営んでいる
その内容を a.b.c.・・・のように分ける
a. ほとんどについて行なう、平素から
b. ハプニングが起こった時、行なう
不慮の事件、行事の時、助け合う
となり近所 親類
c. 同族だけで数軒が寄って祭(村の祭りとは違う)を行なう
d. 日常生活で、ほとんど行なわれる 苗字、家紋、~株、~マキ
e. 葬式、結婚の時にだけ現れてくる
祭りの協同はどこにでもみられる
祀られるもの(同族神)→千差万別
先祖 お稲荷さん、八幡、天神、ほとけさん
祀られている場所
同族団が共有している山、森、本家の持っている屋敷の中
祀られているものが、各々の家を廻る(同族神の形態)
来られた家が宿とする
ローカルな神名を祀るところもある
「小一郎さん」「まいりのほとけ」
必ずしも一つとは限らない
同じ一つの同族が先祖とそれ以外の神仏を祀っている
一つの同族神が先祖であるということ、そうであることと
オーバーラップしている場合がある
由良川
「○○株 先祖地荒神」
東八田の株
「稲倉魂正祖神霊」
同族神
地神様
荒神様 先祖
祀られる要素だけでも、いくつかに分類出来る
どれが古いのか区別するのは難しい
祭式から見ていく
<図> 同族集団
株 →抜け出たり他から入ったりは絶対出来ない
許されない
宿をすること=義務でもあり権利でもある
単なる信仰、宗教ではない
→何か別の要素がある
祀られているものから見ていく
神 仏 ・・・を祀っている同族団を
逃げたり入れたりしないように続けていく
過不足なく行なっていく もの
↓
「先祖」以外にありえない
Lもとの形で
後になってから別の要素が入ってきて訳の分からない神なども出てきた
本家の屋敷に同族神がある場合
<図>①毎年、株のものが来る
③分家のどこにでも同じものが祀ってある
④何も祀ってない
<図>②株のものが来ない
①~④のどれが古いのか
→同族神が本家の中にある「先祖」を祀ったものが一番古い
ところで
本家争い、というのがよくある
その証拠 ー 祀ってあるもの
↓
同族の系譜が分からなくなっている
あいまいになってきている
→同族集団が解体しようとしている
協力などありえない
Ⅵ 民俗の無時代性
民俗は、どの時の断面で切っても、発展段階の中のそれぞれの場に位置づけられる。各地に分散しているのであるから、全国一律、時代ごとに変わるのではないので、時代、年代観念は適応できない。時代区分は階層分化にのみあるので、基層分化には無いと思い至らないで、一般の歴史家は、しばしば、これを不満としがちだが、それは民俗と風俗とを混同するものである。古い文献に、ある民俗のことが記されていても、それより古いものが、それより新しい時代に、極端に言えば、現在にさえ残存しているかもしれない。したがって時代という概念は、ここには最初から無視されざるを得ない。風俗は時代と階層とを掛け合わせた次元でとらえられ、したがって風俗は、どの時代との階層の風俗というように、文献、遺文によって歴史の表層を見るのである。民俗学は、それと一見似ていて、実はまったく異なることは、今まで述べてきた方法論が、よくこれを示している。
★note
民俗学 ー 広い意味で歴史科学である
Lかくれた歴史
歴史 = 時代と不可分という考えがある
民俗学の開発した歴史には
時代区分が原理的にない(成立しない)
歴史と言えるのか
歴史ー時代区分:間違いではない
人間文化・社会文化の表層においてのみ
民俗ー時代が変わる→全国一律に変わるのか?
歴史的事件なら言える(1回あるだけ)
ー○○時代の事(事実)
日本人は山を神聖視する傾向がある
高野山
<図>階層・時代
立体的である
類型的に分ける
風俗:歴史の一部面
何時代 何階級の「誰」
風俗学→風俗史
民俗 民俗学→独自の対象がある
民俗史は無い
これを要するに民俗学は、文献のらち外にある、かくれた歴史の発掘にあり、学会に知られたものを机の上で知り、空白の部分が何であるかを知って、それが補充できうる地点を、いろいろの参考データから選定する。次に臨地採訪は、目、耳、心を働かせて、古老などからの聞き取りと観察を、写真、カード、スケッチ、実測図などに採録して、それを項目別に分類し、文庫作業に使った資料と比較して、採録結果の意義と価値を考え、既に知られている知識の不備不正確を、一歩でも確実・豊富にし、近づけるところに、この学問の発達があるのである。
★note
臨地調査(フィールドワーク)ー不可欠
文庫作業だけでは意味がない
見よう見真似で会得する 際限がない
人の心をつかむ 接人術
明治に民俗学が入ってきて発達してきた
日本の鎖国時代に受け皿になったものはあるか?
明治以後の西洋の学問としての民俗学
今日、それが日本化してきた(内容的に)
民間在野の学問として発達してきた
江戸時代の学問
西洋の民俗学
【参考書】
・東京堂 民俗学事典 S.26年 初版 <→良>
柳田国男監修 読む事典
・清水弘文堂 大塚民俗事典
・岩崎美術社 民俗の事典
・平凡社 日本民俗学体系 全13巻 S.36年 <→良>
・朝倉書店 民俗学講座
・第一法規出版社 日本の民俗(県別) <→良>
・吉川弘文館 民俗学ハンドブック