「民俗学概論(竹田聴洲/1977)」 講義ノート Ⅰ

※本ページの掲載にあたって・・・・

 このページの内容は、今から約半世紀ほど前、私が大学3回生の時に受けた民俗学者・竹田聴洲先生の「民俗学概論」の講義ノートをデータ化(文字化)したものです。本ホームページ内には、特に写真(画像)に関して著作権に配慮した姿勢を示しております。当然、講義の内容(口頭による説明・朗読等)についても、立派な著作物であり、本来なら、著作権者(先生)に許可をいただいた上での掲載手順をふまなければならないところです。残念なことに先生は、この講義の3年後、1980年に遷化されましたので、許可を得る手立てを無くしております。

 一方で、この講義の内容については、先生の著作全集を調べた範囲では、書籍化されていないようです。また、この内容は、現在の学問レベル(民俗学)の観点からみても、まったく色あせることなく、十分に通用する貴重な内容となっています。限られた方々だけへの情報提供となり、見切り発車的な公開となっておりますが、どうか先生の関係者の皆様には、この主旨をご理解いただき、掲載をお許しいただきたく、お願い申し上げます。また私の見落としによって、この内容が書籍化されていたり、何らかの利益を毀損することとなるならば、即刻、掲載を削除いたします。一方、私のホームページは、利益を求めるものではなく、広く学術・文化の振興に寄与したい立場で運営しております。

 著作権的には、本掲載が、アメリカなどで解釈が進んでいる「フェアユース(=公正な利用)」の考え方を一歩すすめた立場を持っていることを、まずは表明しておきたいと思います。

 なお、本内容は、講義中に口述筆記されたもの、板書や口頭の説明により、私が聞き取ってノートに記載したもの、後に私が調べて内容に追記・補足したもの、等で構成されています。すべて耳で聞いた内容ですので、聞き漏らし、聞き間違い、書き間違い等々、不備なところも多々あるかと思いますが、ご容赦願います。また講義内では、板書された図や表などがあったのですが、ここのページの特性上、表記できないので<図>として省略しております点、ご承知ください。後刻、何らかの形で示したいという願望もあります。

 あと蛇足ですが「★note」の内容は、聞き取った言葉を羅列的に改行しながら連ねていますので、PC・タブレットでは問題ありませんが、スマホのタテ置きで閲覧される場合、文字の一部が次行に飛んだりするところがあります。その場合には、ヨコ置きで閲覧いただきますようお願いします。その他、お気づきの点(言葉・漢字の誤り)などがありましたら、お知らせいただければ幸いです(メッセージ機能を使ってください)。

2021.6.太田貴久男

民俗学概論  竹田聴洲 1977

 

 

 

序 民俗学の課題

 

民俗学は、民族学と深く関連している。民族学は独語では、Volkerkunde。英仏語ではEthnologyと言い、民俗学は独語では、Volkskunde。英語では、Folklore言う。

民族学は、本来、文字無き未開民族、未開部族を対象として、全人類のもっとも古い文化を探求しようとするもので、民俗学は、高度文化民族の中の低文化生活分野を対象として、ともに記録のらち外にあり、伝承的生活文化を対象とする点で、方法的立場を共通にしている。

民族学は、多民俗学というのに対して、民俗学は、一国民族学という関係にあるが、他を知ることなしに、自らを知ることは出来ない。戦後に名称がポピュラーになった文化人類学Cultural Anthropology は、19世紀以来の民族学を中核として発展してきた民族あるいは民族についての知識を単元として、全人類の文化の構造的把握を目指している。 

 

★note

民俗学の課題

民俗学とは如何なる学問か

民俗学は現在の民間伝承を通して民俗の心性、生活文化の特質を把握することを目的とする。民間伝承はこれらの特質をもっともよく表すからで、ここにこの学問成立の根拠があるわけである。

独語 Volkskunde

英仏語 Folklore

とくにフォークロアという語は関連する2つの意味を持ち、そのこと自体、含蓄は甚だ深い

kunde = ~学 Volkの学問

Erdkunde : 地理学

Kunstkunde : 美学 芸術学

英仏のFolk(→民衆・庶民・人々)+lore(→知恵・知識=wisdom)

lore of folk → folk's lore (~の)対象

        concerning folf(~に関する)研究者

folklore science

日本では 民ぞく学  民「俗」学

           民「族」学  密接な関係

      Volks kunde (単)  Volkerkunde (複)

      Folklore            Ethnology

                                →Ethnos  心性

民間伝承とは民衆の知恵に他ならない形式

内容にあわせて論理的にとらえる

民族学は地球上すべての民族をやろうとするのではない

民族=未開民族:記録を持たない・文字を持たない

民俗学は高度の文明を有するが、そういう文化の中の低文化の民俗を研究する

両者とも、文字に書かれず、その生活様式を知る点で同意

人類学  Anthropos (人間性)の logy (論理)

     生物学・解剖学 → 人種:自然人類学(地質人類学)

     社会学・人文科学 → 民族:文化人類学(社会人類学)

 

 

第1章 民俗の意義と性格

 

民俗という言葉は、中国や日本の古代文献にしばしばみえているが、要するに、特定の年月日や、特定の人物による事件ではなくて、平凡多数の日常生活一般、あるいはその慣行習俗の無数の累積のことで、地域社会の中で、過去から累代にわたって伝承せられ、文字に記録される動機を欠いているが、遠い過去が姿を変えつつ、一面では、不変に変わらないで伝存している。

歴史の上に名をとどめる、いかなる英雄、偉人も、しょせんは民族の一人である。民族のそうした根性は、いつの時代も、社会の最大多数を占める凡俗多衆の日常平凡な生活の中に根ざしている。一般に記録されないので、普通の歴史学は、永らくこれを故意に無視してきた。彼ら(無数の)書かれざる歴史は、記録としてではなく、伝承として伝わるのである。

 

★note

風習、ならわし、風潮、 世界・日本の古い史料にも残っている

(例)中国

   韓非子  「国貧而民俗淫侈」

(例)日本

   類集三代格 大同2年9月(太政官布)

   「禁断両京巫女覡・・・厭呪天多積習成俗」

事件ではなく、事実(無数の)である

歴史上の有名人物でも、日本人である限り、その民俗から脱しえない

   太平記 後醍醐天皇 延元3年8月

    「艮(うしとら)北向きに葬った」 

   吾妻鏡 建久3年3月

    3日前に京都で後白河法皇が亡くなった知らせ

    「幕下(頼朝)7日ごとに御幣斉をして念珠をおさめる

 

 

 

 2節 習俗と常民

 

程度の高い、あるいは外来の都市格な文化の影響から遠ざかった村落の日常生活には、古い生活文化がより多く伝存残留している。しかし、いかに史上の名士でも、その日常生活が、すべて非凡でされていることではない。

全体としていうならば、無知・凡族の連中の生活の様式と系列から免れることは出来ない。人間生活である以上、自然に対するという意味で、それもやはり文化である。民俗文化の現出というものは、エリートでは特殊な形で現れ、伝承的な凡俗の生活では、それが素朴な形で現れるが、日本の場合、ごく最近まで国民の最大多数を占めた者は、農民であるから、今日まで、民俗学は村落、農民の生活伝承を主に扱ってきた。

しかし、だからといって、それをもって民俗学の対象領域が農民であるとか、無知識階級に限るという考えは、原理的に誤りである。その対象は、職業あるいは階層という範疇で区画できるものでなく、生活の常民的分野とするべきである。

 

★note

これまでの民俗学は事実上、農民・農村社会を対象としてきた

しかし、限定して考えるのは間違いである

高度文明のらち外、外来文化の影響が少ないのが農村

逆に、都市の生活様式は外来文化の影響が強い

それら文化と疎遠なものが農村

常民文化 生活文化 農民文化

文化(広義):自然に対していう 少しでも人間の息のかかったもの

       Nature - Culture

犬の糞 → 糞の中に穀物 → 家畜 → 文化がある

外来文化の影響を受けないで生きてきたものが、事実上、農民であった

 

生活を常の面と非常の面とに分け、常なる面を通じて捉えられた民俗、また民俗社会を構成する個人の生活文化。常は凡常を意味すると同時に恒常を意味する。常民というのは、実に民俗学が発見した文化領域であり、範疇概念である。決して庶民というような階級概念ではない。常民生活文化という新領域の開発が、民俗学を独立科学とする。

庶民階層が常民的生活に富んでいるのは事実であるが、それによって民俗学が独立科学として環境づけられるのではない。Folkは日本語の常民にあたると考えられるが、日本民俗学の基礎概念の常民は、英仏独の音訳ではなく、日本民俗学独自の発達の中で、独自の意味内容を充実させたというべきである。

 

★note

常民 民俗学の基礎概念 = 民俗学の文献に書いてないものはない

   →(意味)概念の規定 → 説がばらばら

どう違うか 常民

      庶民(民衆)

凡庸な人民(諸橋漢和辞典)→今とほとんど関係ない

      出典:戦国策「世俗之間 常民溺於習俗 学者沈於所聞」

折口氏-索引には無い

柳田氏-多く表れている 常民(常人)=農民のこととして表現

    「・・・マタギ部落は常民と著しく変わったことはない」(大正5年)

    「・・・山人は・・・常民に混同し・・・」(大正6年)

    「・・・(一つ目小僧)」(大正7年)

折口氏 - 古代研究

    文字の奥を民俗学の知識を動員して探ろうとした

    万葉集・古事記・・・等、古典が多く使われている

      漢字 - 庶民のものではない

職業・階層で分けるのではなく、我々の生活の中に常の面と非常の面がある

    非常の面 - 記録に残される - 民俗学の対象外

    常の面  - あらゆる階層、地域、時間をえぐり出してきた

      農民階級はどちらかと言えば常の面に豊かである

      凡常 popular(空間)

      恒常 constant(時間)

既成の学問に対して、一つの根拠をもった(独立科学として)

    階級概念ではない

    <図>支配・庶民・常・非常

    マルキシズムからの批判

      階級の立場に立っていない

      百姓一揆・年貢について取り上げていない

      農民文化論

      ↓

      原理的に取り上げられなかった

      常なることではない

民の常 = 常民

     「常」→これを問題にするのが民俗学

 

 

 

 3節 基層文化

 

常民文化は、国民文化全体の中では、基層を成して非常の面に連なる。文化要素は表層文化を成している。文化は階級的次元で貴族文化と庶民文化、あるいは歴史的次元で古代文化と近代文化、また地域的次元で中央文化と地方文化などに分けられるが、層序的次元で表層文化と基層文化に分けることが出来、これを初めて開発したのは民俗学である。

階級、時代、地域の如何を問わず、従来の歴史学が扱ったものは、主として表層文化であった。しかし、表層、基層というのは相対概念であって、その自覚がなければ他方の自覚もない。基層は記録されない、そのため一般の文献史学は、これにアプローチの道を閉ざしているが、この事実上の欠陥と無記録は、そのまま無価値であるという価値原理と混合することは根本的に誤りである。氷山の露頭も海没部分と共通の性格に規制されることに思い至らないから、相当しないからである。

文化の基層は、民俗文化に固有の原質(Ethnos)を宿しており、表層と基層との間には、沈殿と吸い上げとの交互作用があり、これは歴史的世界が連続と非連続、変不変の相互媒介になることをよく示している。したがって基層(文化)は表層と同等の市民権を持って居る。書かれざる伝承も、方法をもってすれば、表層とは別種の書かれざる歴史を引き出すことが出来るし、また引き出さなければならない。

我々は、表層が無価値であると言っているのではなく、ただ表層の意味を、より深く知るための不可欠の道として、これが新しく開発されただけに、ここに大きな使命を持たざるを得ない。

 

★note

1国1民族の文化は、いくつもに分けられる

  時代区分(歴史学)

  階級的所産として区分(社会科学)

  地域区分(地理学-人文地理学)

それぞれの学問の立場に立って文化が論じられている

  文化 - 時代・階級・地域によってのみで分けられるものでない

     L すべて総括して層序(表層と基層)によって分ける

  基  層 → 常民文化 ・・・ 民俗学によって成立さす

 (相対概念)  

    記録されない:文献史学の立場からはネグレクトされてきた

     L研究の対象にするかどうかとは違う      

      研究する価値がないとは言えない

      文献史学の立場からはアプローチ出来ない

        -書かれない(書かれざる)歴史

   ↓

  民俗学

  <図>露頭 氷山 沈殿 吸い上げ 表層 基層 (相対概念)

    基層・・・今まで取り組まれていなかった  

    「氷という性格」としては同じである

       L研究する

  沈殿 : 暦(こよみ)・中国から日本へ輸入(文学)

             ・漢字とともに暦も入ってきた

       宮廷に入って、その後、民間に流布

  吸い上げ : 古事記・日本書紀

    <例>神代 - 神武天皇 - 人代

       基本的には日本における天皇の系譜を書いた

       政治的色彩強い

    神代の物語

     玉依姫(タマヨリヒメ)が度々各所に登場

      日本書紀 第9 天地創造

     山幸彦、海幸彦(ヤマサチヒコ ウミサチヒコ)が喧嘩した

      海宮(ワダツミノミヤ)の豊玉姫(トヨタマヒメ)の所へ行く

      山幸彦(ヒコホホテノミコト)と結ばれる

      帰るとき「潮満球 潮干球」を授かる

      豊玉姫の妹・玉依姫を引き連れる

             L神武天皇の母

     崇神天皇代 「崇神記」

      国内において悪病が流行る

      天皇の夢で神が 大田々根をつかまえることを告げる

                L父・大物主大神

                 母・活玉依姫

          日比(ヒコ)若い男

          比売(ヒメ)若い女

     7.8世紀 風土記

       山城国「山城風土記」のごく一部が残っている

       鎌倉時代「釈日本紀」において

        「山城風土記」について記されている

       賀茂の祭

       賀茂川と葛野川の合流地点

         賀茂建角身命(カモタケツノミノミコト)

         丹波国神伊可古夜日女(イカコヤヒメ)  

          玉依姫  <図>丹塗の矢 川上 子=雷 → 上賀茂神社に祀る

            L下鴨神社に祀る

                        賀茂御親命

                        賀茂別雷命

       播磨国風土記

         高野社 他野に玉依姫とある

日本の古代の神話・伝承の中に「玉依姫」という名が珍しくなかった

 偶然に一致するのは疑問

 結論:賀茂の伝承と深くかかわる

    父親なし → 神胤を宿す

    タマ(霊)ヨリ(憑) → シャーマン 

        = 巫女(ミコ)王子神 神がかりしている

 

 

 4節 民俗と歴史

 

文化の表層と基層、歴史における不変要素と可変要素、生活における常と非常の要素は、互いに相則媒介しあっている。伝承は、国内一様に存在するのでなく、文化的距離に応じて年輪状に変遷の各段階を示して、それらの比較から、変遷、発展の跡を逆構成することが出来る。

ここに歴史科学としての民俗学の本領と、またその成立する根拠がある。それは考古学史料が一定の層序で存在し、発掘されて史料となるのに似ている。

非常の動機に記された過去の記録も、偶然の記録も、常民的要素も秘められていることもないではない。ただ過去の記録から取り出されるものは、その記録成立の本来的動機に沿った一回性、あるいは超凡性にあるのではなく、蝟集伝承として、希少的、常民的であるところに、同じく過去の記録を扱っても、一般の歴史学と民俗学との違いがある。

 

★note

伝承 - 歴史の変遷によって左右されることはない

    (歴史が変わったからといって、同時に変わることはない)

民間伝承 → 一般に記録されない

       過去の研究、記録の中にも、偶然記録として書き込まれている場合

       歴史的事件として書き込まれているのではない

  「太平記」後醍醐天皇が亡くなった時、弔いをした → 偶然記録

   ただ歴史の記録は重点の置き方が違う

 

文献史学は、有文の時代を取り上げたとするならば、考古学は、無文の時代を扱うと言える。ならば民俗学は、不文の時代を扱っている。

考古学も民俗学も、もともと書かれざる歴史の開発であるが、考古学は史料あるものに則して地中から発掘し、民俗学は史料を習俗から発見しているので、広い歴史学の上から、両者は別の翼である。民俗学は歴史学の補助学ではなく、3つの学問は互いに他を補助学としている。

 

★note

文献・記録  不文・無文 考古学   不文 → 民俗学

       有文    文献史学  成文

不文の領域・・・有文の時代に入ったからといって

        人間の記録がすべて盛られているわけではない

以前は、歴史学の補助学として民俗学・考古学があったが、互いの立場に立てば、3者が、ともに補助学でありえる

 

第2章 対象とその領域

 

民俗学の対象領域は、政治・社会・経済・芸術・宗教・思想などといった一般の歴史の領域よりも、一層広範であるというより、むしろ次元を異にしているが、指標を異にすることによって種々に区分出来る。

イギリス シャーロット・ソファ・バーン

 「民俗学提要」20世紀初頭

 1.信仰と行為

 2.慣習

 3.物語・民謡・言い伝え

折口信夫

 1.周期伝承(年中行事)

 2.階級伝承

 3.造形伝承

 4.行動伝承

 5.言語伝承

 対象領域そのものに則した分類

柳田国男

 民俗学は机の上で本を読んで出来るものでなく、フィールドサーチが生命である。

 採集する場合、フィールドにとっては、他から入ってきた旅人で、

 入って来た研究者の側からの立場で、難易の度合いによって分けた。

 1.有形文化・旅人の学

 2.言語芸術・寄寓者の学

 3.心意現象・同郷人の学

和歌森太郎

 1.経済人的生活伝承

 2.社会人的生活伝承

 3.文化人的生活伝承

 

★note

和歌森太郎

 柳田の弟子

 研究する手段・方法(柳田)

 伝承を生み出してきた人間の生活の側面から見た分類

 人間が生きていく上で起こるもの

 経験による知識

 伝承:文化人的伝承は信仰に裏打ちされている

歴史科学である民俗学

 (対象領域の語)~の歴史

命名 - ものに名前をつける

 捨をつける男の名がある 捨吉、捨松

 おとんぼ ばつなんし 長男以外に多い

 →親の縁起の悪い年に生んだ場合がある 悪い年回り 厄年

  一生、子どもは何の責任も無いのに背負わねばならない

  一度生んでから捨てる → 拾ってもらい 厄年が済むと迎え入れる

  その記念として「捨」の字を使う

心意表象

 兆(チョウ):きざし 

        蜘蛛が糸を伝って降りてくる 朝、晩(悪)

        イタチが道を横切る 右→左(良) 左→右(悪)

  夕焼けの赤いのと、女の賢いのは、関心せん

     L魚      L賢すぎる

 占(セン):うらない

   村として占う

   正月、神社でお粥に突っ込んだ竹の付着米で占う  

   3月15日、嵯峨の大松明の焼け落ち具合

   6月21日、くらまの竹切り 近江方と丹波方

   年中行事と結びついている

 禁(キン):タブー やってはいけない

   田舎の田んぼに点々と土まんじゅうがある

   そこに木が生えているが

   それを切ったり、崩したりしてはいけない

   村の山を、ある期日、切ってはいけない

 呪(ジュ):まじない

   民間療法と深く関連

   井戸の中に豆を投げる

 妊娠している女性が火事を見ると、見た側にあざが出来る

 あるものを食べてはいけない

   亀岡・大井・・・コイを食べない

 →こういった行なわれないことを発見するのは、他者からは分かりにくい

  幽霊:女性 柳の下(=しだれるというのに意味がある)

     霊=木を伝って降りてくると考えられる

     しだれ桜 - 霊視される

 

 

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