民俗学は、風俗や習慣、伝説、民話、歌謡、生活用具、家屋など古くから民間で伝承されてきた有形、無形の民俗資料をもとに、人間の営みの中で伝承されてきた現象の歴史的変遷を明らかにし、それを通じて現在の生活文化を相対的に説明しようとする学問である。
・・・・引用 ウィキペディア「民俗学」
民俗学者の柳田国男は、著書『民間伝承論』の中で、民俗資料の類別を、1.旅人の学、2.寄寓者の学、3.同郷人の学と、3つの「~学」という表現で説明しました。それぞれの意味は、1.有形文化・生活技術(目に見えるもの:旅人の学)、2.言語芸術・口承文芸(耳で聞くもの:寄寓者の学)、3.生活解説・生活観念・生活の諸様式(目に見えないもの、心象的な民俗:同郷人の学)という3つの分け方があるのだとしました。
この書は、恩師である竹田聴洲先生に、私への卒業記念の色紙として、卒業の年、昭和54年3月に揮毫してもらったものです。柳田の民俗資料の定義からすると「旅人の学」は、研究者が旅の途上で見ることの出来る、いわば入り口の学問対象のことです。「同郷人の学」の境地までになれば、そこの村人の心の内、信仰などに迫り、レベルの高い対象となります。しかし、それとても、いきなり、その境地にまで行きつくことは無理です。まずは旅人の姿勢で、その村(対象)に迫り、そこから少しずつ研究を深めることが大切です。そういうことを示していただいたのだと思います。
<色紙の裏面>
昭和五十四年仲春
寿 太田幾久男君 卒業
竹田聴洲
企画展「ある民俗学者の軌跡 -竹田聴洲とその学問-」
開催日 2007年6月11日(月)~7月31日(火)
会 場 佛教大学アジア宗教文化情報研究所 第二研究成果展示室
概 要 民俗学者で浄土宗僧侶でもあった竹田聴洲は、1916年大阪で生まれ。2006年、生誕90周年を迎えました。本展は、本学教授であった竹田聴洲の人と学問を振り返る初の回顧展。私が所有している「旅人の学」の色紙も貸し出しました。
柳田國男の生家は、昭和47年に兵庫県指定民俗文化財となりました。國男はこの生家を「日本一小さな家」といい、そこから民俗学への志を発したと著書『故郷七十年』に記しています。この写真は2002年に、職場の同僚とアルバイトをしていた卒業生などと訪れた際のものです。
民俗学者の柳田國男は、明治31年の夏、伊良湖に1か月半ほど滞在したといいます。
その時に海岸で偶然に拾った椰子の実の話を、親友の島崎藤村に語ったところ、それが素材となって椰子の実の叙情詩「名も知らぬ遠き島より流れよる椰子の実ひとつ・・・」の歌が生まれたという話はよく知られたひとではあります。
この柳田の受けた出来事は、単に南の島から流れた椰子の実のことだけでなく、そこから日本文化の源流に思いを馳せる考えに繋がった、ということです。つまり椰子の実は、南方から日本列島へ伝わった「文化」の象徴としてとらえたわけです。
この写真は、私が1984年にバイクで伊良湖を訪れた際のものです。この碑の前で、少しばかり柳田の文化論を感じることとなった一日でした。
椰子の実
名も知らぬ 遠き島より
流れ寄る 椰子の実一つ
故郷の岸を 離れて
汝(なれ)はそも 波に幾月(いくつき)
旧(もと)の木は 生いや茂れる
枝はなお 影をやなせる
われもまた 渚(なぎさ)を枕
孤身(ひとりみ)の 浮寝(うきね)の旅ぞ
実をとりて 胸にあつれば
新(あらた)なり 流離(りゅうり)の憂(うれい)
海の日の 沈むを見れば
激(たぎ)り落つ 異郷の涙
思いやる 八重の汐々(しおじお)
いずれの日にか 国に帰らん
※島崎藤村が亡くなって50年以上経過していますので著作権はパブリックドメインです。