◆口丹波民俗誌◆
母屋と屋敷
屋根型のつくりは、この地方では入母屋が主流である。入母屋つくりは、屋根上部の棟に近い部分を切妻とし、下部の軒に近い部分に勾配をつけた屋根を設ける形で関西を中心に広く分布している。屋根材はカヤ(茅)葺き・ワラ(小麦藁)葺き・瓦葺きがある。カヤ葺きの耐久年数は、表側(日のあたる側)で20~30年あるいは30~40年、裏側(日陰の側)で10年とされている。またワラ葺きは10年位は持つといわれている。家によっては、カヤとワラを混合して葺く場合もある。 屋敷内の建物として、まず家族が住むところをオモヤと呼ぶ。それ以外の付属建物として、農作業をする他、農具を収納しておくところをナヤという。ナヤは雨の日の作業場として、また藁草履を作る場所として、用途は多い。クラは、米を貯蔵する他、タンス・長持ち・人形などを入れておくところ。ウマヤは、牛を飼っている家であれば、オモヤと隣接し、あるいはオモヤの間取りとして家の中にあったものである。牛は、耕運機などの無い機械化以前の重要な農耕手段として貴重であり、大切にされていた。その他、必要に応じてコヤ(小屋)が建てられ、タイヒ舎(堆肥を貯蔵しておく所)などが設けられた。
間取りと部屋
歴史的に最も古い型は、炉を中心にした住居と考えられるが、寝室・食事・居間など機能の多様化、畳の普及により、現在の部屋割りが発達したのであろう。丹波地域の住居は、他の地域と特に特異な点はなく、入口を入れば地続きで土間があり、かまどが設置されそのどちら側かに床を伴って各部屋が続く構造になっている。間取りは基本的に田の字型で、壁、障子、ふすまなどで仕切り、機能を分けている。また、前項でも紹介したように、ウマヤという名称で牛小屋を住居内に付設、または間取りの一部として取り込んだものが多い。このことは、丹波地方一帯の生業は、農業であり、その作業に使われる牛を非常に大事にしていたことを意味している。食事をする所をダイドコ(ダイドコロ)と言い、食器入れが設置され、簡易な神棚が祀られている。寝室は、ナンド・ヘヤなどと呼ばれる。日常ではあまり使用しない所として座敷があり、呼び名は地域により異なる。シモザシキとカミザシキ、クチノザシキとオクノザシキ、ツギノマとキャクマなどで、それぞれ臨時の客、講や法事のように多数を招待する時に使われる。ここには、神棚・仏壇・違い棚(床の間)がある。
かまど
かまどは、ニワ(外にある庭ではなく、屋内にある土の間のニワドマとも言う)などに設けられた煮炊きの設備のことである。かまどの名称として、オカマサン、オクドサン(オクドハン)、カマド、オクドなどと呼ぶ。「~サン」と言う場合、設備そのものが擬人化されているというよりも、かまどと火の神を一体化した神聖なものとして意味付けているのであろう。古くより、火に対する信仰があり、特に家の中における火の位置は、単にものを煮炊きし、暖をとるだけでなく、神的な存在であった。ゆえに、かまどは、家の中心施設として、時には家そのものであるような表現さえあるのである。たとえば、東北地方では、「かまどを起こす」と言うことは、家を立てる意味がある。また、「かまどを分ける」とは分家することを言い、実際に本家のかまどの灰を分ける行為をする地方があるという。かまどの神は、サンポウコウジン(三宝荒神)・サンポウサン・コウジンサンと呼ばれている。神棚は、かまどの付近の柱などに取り付けられており、愛宕神社の札「火廼要慎」が貼られていることが多い。神前では、三宝荒神の神棚には、男松を年中絶やさないようにするのが習わしとなっている。 かまどの材質は、赤土である。大正の頃より、瓦で造ったこともあるという。主食の煮炊きから、牛のカイバ(えさ)の煮炊き、茶釜で湯を沸かす等、広い用途があった。
井戸
飲料水は、どこの家にも井戸からつるべで汲み上げていた。神前では、井戸の神を水神として、正月に「本年も水に不自由せぬように」と、タツミの方に向かって祈り、米を撒く。犬甘野でも、水神さんと呼び、正月には、井戸から初水を汲み、しめ縄を飾り、もち・みかん・くり等も供える。鳥羽でも、同じくしめ縄を飾る。犬飼ではもちを供える。
屋敷林
丹波地方では、屋敷内の樹木として、松・ナンテン・モクセイ・キクシマ・アズサ・カキ・グミ・ウメなどを植える。特にヒイラギは植えて栄えると言い、シキビは植えてはいけないと言う。屋敷林としての特別の名称、決まった方向などの伝承は無い。
仕事着
男は、ツツッポ・モモヒキ・バ。ッチなど、女は、コシマキを肌着として着けた。上着として、上体には、男は、ツヅッポ・ツツッポ・ワタイレツヅッポ・コンバンテン・ハンテンなど、女は、ヒッパリ・キモノ・(着物に)タスキガケ・ヒトヨ(キモノ)・アワセ・ワタイレなどがある。下体には、男は、バッチ・モモヒキ、女は、モンペ・マエダレ(着物の上に着ける)。手には、テコウ・テオイ・ウデマキ。すねには、キャハン・ハバキをつけた。はきものとしては、ワラジ・タビ・ジカタビ・ソウリ・ワラソウリ・アシナカ・ゲタなどがある。かぶりものとして、手拭い・バッチョガサ(シュロまたは竹の皮で作る)・ヒノキガサなどがある。それぞれの名称には、地域によりまた季節により、多少言い方が違うものがあるが、基本的には同じ呼び方である。
雨具
女は、田植えの時に肩が濡れないようにゴザミノを着ける。男はヨロイミノを着ける。ミノには、他にワラミノ・シュロミノなどがある。なかでもワラミノは、田植えの際にソートメサンを雇うのに多い目に作っておく。
防寒具
丹波地方は冬期、積雪はあまりないが、厳しい冷え込みがある。寒さを防ぐものとしては、夏用に対しての「綿入れ」がある。デンチ・ツツッポ・ハンテンなどのワタイレを着ける。
平常の主食
かつて主食は、ムギゴハンといって米一升に、麦を1~5合(地域や家により米と麦の配合比率は異なる)を混ぜて炊いたものであった。先に麦を炊き、あとから米を混ぜる。田植えや、農繁期などは、朝の5時頃に食事をし、昼食までの間をチュウジキ・コビルと称して、おにぎりやダンゴを食べた(午前10時頃)。また午後の3時頃もコビル・オコビルといって同様にダンゴなどを食べた。
保存食
塩漬けにするものとしては、ウメボシ・ショウガ・シソ・ラッキョなどがあり、味噌漬けには、キュウリ・ナスビ・ダイコンなどがある(神前)。乾燥させるものとしてホシダイコ(干した大根)・サツマイモ(蒸してから干す)などがある(赤熊・鳥羽)。その他赤熊では、マツタケなどを椛(コウジ)につけたカラシヅケがある。
餅・だんご等
餅をつく日は、年末(12月)、節分(2月)、節句(4月・5月)、盆(8月)、まつりの日(秋)などである。犬甘野では、餅はモンビ(正月・祭りなど)につくと言う。赤飯は、祝い事のあった時に作る。神前では、庚申さん・初午・祝い事に赤飯をつくる。ダンゴ・オハギなどは、田の休みの日などに頻繁につくった。また11月の亥の日、イノコと言い、イノコノボタモチを作る。
*ダンゴの作り方
①うるうの悪い米を臼で挽き、粉にする。
②粉1升に対してもち米2合に湯を加え、つく。
*イノコノボタモチの作り方
①もち米5合、うるう5合を蒸す。
②丸く固め、あんを付ける。
*カキモチの作り方
①もち(重ねもち)をついた後、薄く切る。
②陰干しして、焼いて食べる。
湿田・田植え
呼び名は、通常「タンボ」という。種を蒔く田をナワシロ・ノシロ、苗を植える田をホンデン・シルタ・ミズタとして分ける。米を植え、裏作として麦を作った。4月20日頃に種蒔き、5月20日頃に田植えとなる。男が田の準備をし、女が植える。1間(5尺4寸)ずつ田に縄を張る。その際、等間隔にするためにジョウギを使う。女はその縄に沿って植えていき、男は、苗を投げ込む。朝の6時頃から夕方の7時頃までに植える。鳥羽では、田植えに、兵庫県多紀郡の方から手伝いを頼んだ。ソートメと呼ばれ、次々と田植えの地域をまわっていく。ハゲッショ(半夏生)の時に人足賃を支払った。神前では、田植えの時の労働交換のことをテマガエと言い、同じ村の親戚の者に頼む。それが出来ない時は、ヤトイといって賃金を払って頼む。犬飼・犬甘野・鳥羽でも気の合った者同志、近所同志で手伝い合いをした。テマガエ・テッタイアイと言う。
田の神
赤熊・犬飼では、ナワシロの水の入口に、大原神社(三和町)の御幣・御札を立てておく。烏羽では、水の入口にクリの木の小枝を挿して回った。田の神さんといえば、オオバラサンと言う。犬甘野では、ナワシロに茅の穂・花などを供え、田植えの際、田に大原神社の御札を立てる。半夏生の時に、神さんが田を見に回られるという。 神前では、6月6日をセツタウエと言い、田植えの準備が出来ていなくても、2、3把の苗を植える。これをセツニイルとも言う。いちばん大きな田を植える時は、オオマチウエといって、かやく御飯のおにぎりを作り、田の畦に供える。数日をかけて田植えが終了すれば、残った苗を3把きれいに洗って荒神さんに供える。この日をサナブリと言う。逆に田植えを始める日をサビラキと言う。
稲の干し方
稲を刈り取った後、イナキに干す。足として、2本のヒノキまたはマツの木を交差して等間隔にさす。横の木として、竹を通す。稲を束ねてイナキに架け、15~20日間位干す。その日に刈り取った稲は、その日の内に架ける。
砥石山について<生産関係>
砥石山を持っている人のことをオヤカタと言う。その下で働く人のことをハタラキドと言う。オヤカタは、仕上がった砥石を検貫し、その量によってハタラキドに日当を払う。石が出ず、穴を掘っている間のことを仕込みと言う。石が出たときに、日当の受け取りがある。仕上がった砥石は、大阪・名古屋・四国へ出していた。<時期・方法>田植えが終わった直後から「砥石山が始まる」と言う。重労働のため、ハヤイキといって、午前中で終わることがある。穴の入口近くに砥石小屋を建て、出てきた砥石を挽く。穴は長いところで500メートルもある。普通は、穴を掘っていくごとに、松の木で枠を組みながら進む。岩盤の堅い山をジヤマと言い、木枠は組まない。一建坪(一間角)を100コウリ(1コウリ=12貫)として、1日の出す量は、2~3コウリである。出てきた砥石は、挽き場で適当な大きさに割る。そのあと、ナタで目付し、オオムラ・アラトで出来上がりの砥石表面をこする。<石の種類>スズメイシ(粒が一番細かい)・ナカト(中間、値段が一番高い石)・オオド(荒い)<道具>ノミ(1~3尺)・ゲンノウ・ノコギリ(二人で挽く)。のこぎりは、常に目立てをしなければ、刃がこぼれてしまう。その為、穴の近くには、フイゴがあり、簡単な鍛冶が出来るようになっている。