皇室の宝物を公開する帝国博物館として、宮内省の片山東熊によって設計され、1895年(明治28年)に竣工し、1897年(明治30年)5月に開館しました。周囲を囲むレンガ塀や西側の旧正門を含めて重文指定されています。独立行政法人国立文化財機構が運営し、主に平安時代から江戸時代にかけての京都の文化を中心とした文化財を、収集・保管・展示するとともに、文化財に関する研究、普及活動を行っています。平常展示のほかに特別展が1年に2~3回行われています。
①2012.12.13.撮影
考える人(拡大作)このブロンズの巨像は、1902年から1903年にかけて、ロダンの良き協力者であったアンリ・ルボセの手によって1881–82年の原型に基づいて拡大された。《地獄の門》から独立した《考える人》は、一個の思索する人物ではなく人類共通の普遍的な人間像となった。(出典: 国立西洋美術館名作選. 東京, 国立西洋美術館, 2009. cat. no. 133)
②2004.01.29.撮影
③2013.1.20.撮影
2013.1.20.撮影
京都市下京区七条通新町西入夷之町704番地
昭和2年(1927)竣工。江戸初期に、酒販・海運・両替商として成功した鴻池(こうのいけ)家が、明治に入り設立した鴻池銀行の建物。鴻池銀行は、三和銀行などを経て、現在の三菱東京UFJ銀行の前身の一つです。現在、この建物は結婚式の披露宴会場として使われていますが、その前は若林仏具製作所でした。
内部の様子
2015.7.24.撮影
2013.1.20.撮影
京都市下京区七条通新町西入夷之町721
現在は牛丼店チェーン・なか卯の支店になっていますが、今から10年前くらいまでは富士ラビットスクーターという自動車販売店として使われていました。竣工は、1925年(大正14年)。
2013.1.20.撮影
京都市下京区七条通り烏丸西入ル仲居町113
京都東本願寺そばの七条通りにある建築家・関根要太郎の設計による銀行店舗(もとは不動貯金銀行の七条支店として昭和5年に建てられました)。現在は京都中央信金の事務所として使われています。
2013.1.20.撮影
京都市下京区東中筋通七条上ル文覚町402
かつての村井銀行 七条支店。村井銀行は京都のたばこ王・村井吉兵衛が創業したもので、吉武長一による設計で大正3年に竣工しました。
2013.1.20.撮影
京都市下京区堀川通花屋町下る
<案内板より以下引用>この建物は、明治28年(1895)4月に設立された真宗信徒生命保険株式会社の社屋として、明治45年に東京帝国大学教授伊東忠太の設計、竹中工務店の施工により建築されたものである。当初は「本館」のほか「付属室」、「倉庫」の2棟。「物置、人力車置場、便所」、「屋根付伝ひ廊下」が建っていたが、現在は「本館」のみが残る。伊東忠太は明治41年、日本建築もこれからは石材・鉄によらねばならず、しかもその建築様式は欧化でも和洋折衷でもなく、木造の伝統を進化させることにより生み出さなければいけない、という「建築進化論」を提唱し、日本の建築界に大きな影響を与えた。建物はこの「建築進化論」の考え方を明確に表現した作品で、外観は古典様式基づくものの、開口部まわりや軒まわり、塔屋の形態などにサラセン洋式、日本の伝統的な洋式が用いられており、日本の近代建築の発展を知るうえで貴重なものである。 昭和63年5月2日指定 京都市
2013.1.20.撮影
京都市下京区七条通油小路西入ル米屋町158
この店は、昭和初期からある精肉店です。建築されたのもその頃のようです。2階部分は居住スペースになっているようです。
2013.1.20.撮影
京都市下京区七条通大宮東入大工町125-1
本館(重要文化財)は、1879(明治12)年に竣工しました。平成9年に、大改修がされました。1階の展覧室では展覧会なども開催されます。
北黌・南黌(重要文化財)。黌(こう・おう)とは学び舎のことです。本館と同じ1879(明治12 )年に竣工された歴史的な建物で、重要文化財に指定されています。夜にはライトアップされ、白亜の壁が幻想的に輝きます。
旧守衛所(重要文化財)。本館や北黌・南黌と同じく国の重要文化財に指定されている建物。昔は守衛所として利用されていましたが、現在は龍谷大学のオリジナルグッズを展示する建物となっています。
2013.1.20.撮影
京都市下京区大宮通花屋町上ル
淳風小学校は、昭和6年に京都市営繕課の設計で施工されました。石造りアーチ状の玄関口が特徴の校舎です。現在も学校として使われています。
旧京都市下京図書館は、昭和7年の建物、現在は使われていません。大きな窓と庇、窓台などが印象的な昭和初期の建物です。