京都市中京区室町通蛸薬師下る山伏山町546-2
撮影日:2013.5.22.
校名は、石門心学の道場「明倫舎」に由来するそうです。明治2年に開校後、幾たびかの移転を経て、昭和6年、京都市営繕課によるデザインで現在地に建築されました。明倫学区には祇園祭の山鉾町の多くが含まれていることもあり、建物の正面は祇園祭の山鉾を模したといわれています。現在は、小学校としてではなく、京都芸術センターとして活用されています。
京都市中京区三条通烏丸西入ル御倉町79 三条西入る
撮影日:2013.5.22.
大正9年に建てられた珍しい木造の洋館です。当初は貿易会社の社屋として使われ、その後、繊維問屋、海外の施設、呉服屋などを経て、2004年から現在の商業施設(飲食店)として使われています。天井の高さは約5メートルと、ユニークな建物となっています。
2012.12.6.撮影
京都市中京区烏丸三条南入饅頭屋
明治時代を代表する「辰野式(赤レンガに白い石の横帯が特徴)」のレンガ造り2階建ての建物です。明治39年、第一勧業銀行京都支店として竣工した建物ですが、その古い建物は平成11年に取り壊され、同15年、同じようなデザインで新築されました。
株式会社みずほ銀行(みずほぎんこう、英称:Mizuho Bank, Ltd.、略称:MHBK):2002年、第一勧業銀行・富士銀行・日本興業銀行の分割・合併により誕生した。
2012.12.6.撮影
京都市中京区三条通東洞院東入菱屋町
中京郵便局の旧庁舎は、京都郵便電信局として、逓信省営繕課の吉井茂則・三橋四郎の設計、同小泉鉄也の監督のもと安藤組の施工により、明治35年(1902)8月に竣工した。ネオルネッサンス様式のこの旧庁舎は、当時の代表的郵便局で、日本の近代建築史においても重要な位置を占める作品であった。昭和51年3月から同53年4月に中京郵便局の改築が行われたが、このとき旧庁舎の南面及び東西側面の一部の外壁と屋根が保存された。中京郵便局は、近代京都における経済の中心地であった三条通に位置し、旧庁舎の外観は当時の雰囲気をよく伝えている。またその意匠は優れたもので、三条通の景観保存にも寄与しており、昭和61年6月2日、京都市登録有形文化財に登録された。 京都市 (説明板より)
京都市中京区高倉通三条上ル東片町
①2012.12.29.撮影
設計は辰野金吾とその弟子長野宇平治による。1906年に日本銀行京都支店として竣工し、1968年に重要文化財に指定された。この建物は現在は京都文化博物館の別館として使用されている。
②2013.1.19.撮影
③2013.6.22.撮影
2013.1.19.撮影
京都市中京区三条通柳馬場北西角
三条通りと柳馬場通りの交差点に建っています。石張りの外観に特徴があり、辰野・片岡建築事務所の設計により、1914年(大正3年)竣工しました。その後、1983年(昭和58年)に改築された際、部分的に補強保存されています。
2013.1.19.撮影
京都市中京区三条通富小路西入ル
所在地は、中京区三条通富小路西入ル、SACRAビルと呼ばれています。竣工は、大正4(1915)年。東京芝に本店を置く不動貯金銀行の京都支店として建てられたものです。不動貯金銀行は明治33年に創立された貯蓄銀行の一つで、戦後の協和銀行(現・りそな銀行)の母体となった会社です。煉瓦造り3階建て、国登録有形文化財に指定されています。
2013.1.19.撮影
家邊徳時計店は、1890年(明治23年)に建築された洋風商業建築です。木骨レンガ造り2階建てで、京都に現存する民間洋風商業建築としては最古の部類に属するそうです。京都市中京区三条通富小路東入中之町27番地。
2013.1.19.撮影
京都市中京区三条通御幸町東南角
1928ビル(旧京都大毎会館)は、武田五一の設計により1928年(昭和3年)に建築されました(その年が現在のビルの名前の由来になっています)。1998年までは毎日新聞社京都支局として利用され、現在はギャラリー・レストラン・フリースペースとして活用されています。毎日新聞の社章に由来するバルコニーの形状が特徴的な建物です。