特別論考

人は死んだらどうなるのか無となるのか、それとも魂は生き続けるのか?

 60年代の後半にあったフォークソングブームのさきがけ、京都出身のザ・フォーク・クルセイダース、その彼らのデビュー曲は「帰ってきたヨッパライ」でした。交通事故で死んでしまったヨッパライが、天国に行っても酒癖・女癖が悪くて、神様が天国から追い出してしまう、生きかえってしまう、という内容の曲でした。この曲のモチーフは、人は死んでしまうと天国に行くけれど、素行が悪いと天国から戻されてしまう、というものです。つまり人は死んでも、また別の世界(天国)で生きていくことになる、というのです。これは日本に限らず、西洋の社会などにもあるようですが、日本の場合は、特に仏教の思想と関連して、より具体的なイメージがあるのではないかと考えられます。

 

 一方で、哲学や科学が発達した近代社会においては、人の死は、生命活動の終焉、肉体の消滅、様々な精神作用の停止を意味するのです。唯物論的には、そのような解釈をするのが合理的です。死ねば無となり、存在がなくなり、意識も無くなるのです。それは人間にとって恐怖そのものの事態であり、それを克服し安心する手立てとして宗教、信仰があるのかもしれません。

 

 人は死んで無となるのか、魂は残るのか、といった問題については、生きている人間が、死後の行く末(状態)を知ることは出来ないわけですから(「帰ってきたヨッパライ」の主人公が実在の人物であるなら証明されたことになるのですが)、永遠に未知の領域であり、解決不能な問題なのです。

 

 ところが1970年代に、アメリカの精神科医・レイモンド・A・ムーディが臨死体験を研究します。日本でも立花隆が「脳死」や「臨死体験」といったテーマで、ムーディの研究や自身の緻密な調査をふまえて、現状の理論を明らかにし、生と死の境をさまよって生還した人(臨死体験をした人)が居る、彼らは死の実態を垣間見たのでは、という仮説を提示したのです。

 

 この「臨死」というのが、死に臨む、死後世界の淵を垣間見る、という点でいうなら「帰ってきたヨッパライ」の主人公のように実際に「天国」に行ったことよりも、やや控えめに、その天国(死後の世界)を、その手前の場所から少し体験してきた、見てきた、ということになるのかもしれません。

 

 しかし、これとても「臨死体験」が、実際に「あの世(死後の世界)」を垣間見たのか、瀕死の状態で、脳内に生じた幻覚(死に対するイメージや、死の言説や知識がベースとなった脳内の作用)なのかは、これまた意見の分かれるところなのです。

 

 もうひとつの観点、死後の世界の有無にかかわらず、魂は永続するのか、いやいや意識も無くなるわけだから、魂も無くなる、という点があります。ここでも卑近な例を示しましょう。

 

 1990年公開のアメリカ映画『ゴースト/ニューヨークの幻』は、そこそこの年齢層の方々には思い出深い映画です。主人公のサム(パトリック・スウェイジ)は、恋人のモリー(デミ・ムーア)とデート中、暴漢に襲われ、倒れた自身の姿を見てしまいます(つまり死んでしまった現場に立ち会うのです)。その後も、自身は、この世に留まり、恋人の行く末を案じているのですが、如何せん、実体が無いので直接恋人に、その謀略を伝えることはできないのです。そこで霊媒師のオダ・メイ(ウーピー・ゴールドバーグ)の身体を借りて、その危険を伝え、つかの間の愛を確かめます。そして謀略が明らかになり、犯人は悪魔のような存在にかすめ取られていき、主人公は恋人の幸せを願い、(おそらく)天国へ旅立っていくのです。

 

 この映画では、死後の世界がどうであるかは語られませんが、人は死んでも、この世に残る未練や思いのために、魂が残り、現世を見つめる、という設定になっています。

 

 日本の社会で広く人の死後に行われる、49日や忌明け、年忌法要、お盆行事、などが一般的な日本人の死生観とするなら、人は死んでも現世の人達を見守る、という考えと、このアメリカ映画『ゴースト/ニューヨークの幻』は、親和性があり、日本人にとって受け入れやすいストーリーだと言えるのではないでしょうか。

 

 

 

◇◇◇◇◇◇

 

 民俗学者の新谷尚紀先生が、上述した「臨死体験」の話などを中心に、死後の世界について述べられています。『講座日本の民俗学 第6巻 時間の民俗』の中の「人生儀礼」の章の最後の論文「死と葬送」です。その内容について、私なりに理解したところを以下に紹介いたします。

 

 <はじめに>のところで、人類による死の発見(認識)は、約四万年前までユーラシアに住んでいた旧人類の絶滅種・ネアンデルタール人の埋葬遺跡であるシャンダール洞窟の「花を供えた人」(遺体に花が供えられていた)ではないかと提示します。そして我が国においては、考古学によって埋葬の形跡が、縄文時代早期であろうと推測します。そのことより、「死」というものは、歴史的に獲得されてきた概念であり、地域や社会ごとに共有され伝承されてきたもの、と説明されます。

 

 <死の恐怖>という節では、死に直面した例として、1.決死、 2.闘病死、3.老衰の3つを挙げます。「1.決死」については、昭和20年 神風特別攻撃隊として23歳の青年が、故郷の母に宛てた手紙を紹介しますが、そこには、悲壮な決意と、死をつきつめることなく戦死したことが記されていると説明されています。「2.闘病死」‪では、癌の告知を受けた宗教学者・岸本英夫(61歳没)の例が紹介されています。そのなかで、天国、浄土を信ずるものは、死後の世界は実体であり、輝かしいものであるが、死後の世界を信じないものは、真黒の暗闇・絶望であるとし、死とは生命に対する「別れのとき」であり、生命の絶対的肯定をするときに、死を前に大いに生きる、出発することになる、としました。最後に「3.老衰」、民俗学の創始者、柳田国男(88歳没)を例に出し、彼の娘婿である民俗学者の堀一郎をして、柳田の死は、巨木がひっそりと倒れたようで、天下一品の慈顔であったと言わしめたことを紹介しています。

 

 次に<死ぬことと死後のこと>の節では、アメリカの精神科医・レイモンド・A・ムーディの『かいまみた死後の世界』から、臨死体験について紹介しています。ムーディによれば、臨死体験の記憶には、

・言葉では表現できない心の安らぎ

・体外離脱して自分の姿を高いところから見ている自分

・暗いトンネルを漂い、そこから抜け出る感じ

・身内や友人など他者との出会い

・金色の光との出会い

・異様な騒音

・自分の人生を走馬灯のように回顧する

・生と死の境界線との出会い

の要素があるとしました。このことについて、日本では、立花隆『臨死体験(上下)』『生・死・神秘体験』が同様の調査結果を示したことで有名です。また民俗の関連では、松谷みよ子『あの世へ行った話・死の話・生まれ変わり』などで、死後の世界を語った昔話が紹介されています。どちらにおいても、先に示したムーディの構成要素と共通したものがあるとしました。これらをもっての臨死体験研究の見解としては、それが「現実体験」であるならば、体験した魂の存在の証となるし、それが「脳内現象」だとするならば、所詮、脳の幻覚にすぎない、という2つの解釈が出てくるのです。どちらにしても、この解答は、死という、人間にとっては絶対不可知の未経験領域に属する問題なので、永遠に解答は得られないものだと結論付けました。

 

 ところで、松谷みよ子が集めた話の中に、花畑と川が出てきます。この川については、三途の川を示すものと想定され、日本の仏教と民俗が習合した来世観の影響であると考えられるとしました。また「姥捨山と老病人遺棄」について、民俗学者である柳田国男の分類(姥捨山)によれば、①もっこ型(次に使う為にもっこを持ち帰る)、②難題型(難題を捨てられる老人が解決する)、③老婆致福型(山の神の加護で幸運を得る)、④枝折り型(帰り道に迷わないように枝を折る)の4つの型があるとしました。この老病人遺棄について、現代社会にあっては、独居老人・老人ホーム・ホスピスなどの存在が想起され、ぽっくり信仰の根強さを感じるところだとしています。

 

 立花隆と遠藤周作との対談が紹介されています。その中で遠藤により、死後の可能性について、3つの可能性が示されています。

1.死が無ならば、禅の境地・無神論となり、2.死後の世界がある、または、 3.生まれ変わりがある の2つならば、仏教における「六道輪廻」の考え方が当てはまるとしました。この3つのどちらにしても、絶対不可知の事柄であり、死の恐怖があるとしました。そして克服の方法として、思考停止するならば、宗教・信仰に頼ることとなり、思考継続するならば、科学による知の領域を拡大し、宇宙・生死の必然・死の受容となるとしました。

 

 最後に<葬儀の変化と地域差>の節では、最近の葬送について、儀礼の簡素化・変化があるとしました。葬儀社の進出、時代の変化・都市化があり、葬儀執行の主体が、血縁(家族・親族)から地縁(村落社会)・無縁(僧・業者)へ移行し、またその後、血縁へ戻る、といった事例が紹介されています。

 

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以上、結局は分からない、実証できない、ということですね。
ただし、大きな宇宙の中の、ちっぽけな人間は、あれこれ悩みながら生きています。死ぬ時くらいは、大いなる「いのち」に、自身の人生を託して、その中に吸収されることを願いつつ、特別論考といたします。

 

 

 

特別論考 追記    2022/05/25

 このページを追加して直後に、アフェリエイト(ページのアクセス解析)をチェックしました。すると、通常、このホームページの閲覧数は、通りすがりか、意図せぬ一瞬のアクセスなどを含めて、全体トータルで1日に10件~20件にとどまっているのに、ここの「特別論考」のページだけに、いっきに100件ほどのアクセスがありました。ホームページの構成上、下位のページ、しかもテーマページからのリンクでしか見ることができないのに、いったいどういうことか。・・・・おそらく、ワード検索などからのアクセスと思われます。死、死後の世界、魂、といった関心の高いワードにヒットしたのかもしれません。

 そしてしばらく経ち、ネット上で、京都大学名誉教授の佐伯啓思氏の記事を見つけました(週刊新潮ウェブ版)。このページの内容と関係するかと思い、追記として一部を紹介(引用)させてもらいます。

 タイトルは『コロナが浮き彫りにした、西洋と日本の「死生観」の違い 日本人に求められる「価値観」とは』です。この2年間でのコロナ禍における日本政府の施策、国民の反応、海外の対応、それぞれの国における危機対応の違い、死生観の違い、などが述べられております。そして日本人の民俗宗教的な考えを述べておられるところがありました。その一節を以下に引用させていただきます。

 

 

・・・

 なぜ墓参りという習慣がずっと続いているのか

 では死生観、すなわち死を受け入れる価値観をどうやって我が物とすることができるのか。ごく簡単に言えば、そこには霊性、広い意味での宗教観が求められるであろう。宗教とは、死に臨んでも安らげるように、死に向かう覚悟を与える「装置」である。永遠の魂を信じるのか、先祖を信仰するのか、死後はいっさい「無」だと割り切るのか、形はさまざまであろう。だがそれぞれが何らかの宗教観や霊性への意識を持たなければ、「死に方」すなわち真の「生き方」を見つめ直すことはできまい。霊性などというと、ややもするとオカルト的に受け取られがちである。しかし、例えばお盆を考えてみる。先人たちは、死者によって生者は見守られていると考えた。だから死者が戻ってくるための祭祀を行った。確かに祖霊などに何の科学的根拠もない。しかし、あえて、死者に見つめられているというストーリーを共有することで、生者の側にある程度の倫理観が保たれた。また生者の心に死を刻むことができた。なによりもそう考えることで、生を意味付けたり、楽にしたりすることができる。これは一例であるが、我々はなぜお墓参りをするのか、どうしてこうした習慣がずっと続いているのかを考えれば、今日でも我々は決して霊性を失ってしまったわけではない。

<佐伯啓思/京都大学名誉教授>

・・・

【「週刊新潮」2022年5月5・12日号 より引用】

 

 

 

 

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