◆口丹波民俗誌◆
相続
家長や家族員の死亡・隠居などに伴い、それらが所有していた、財産や権限・地位などを承けつぐことを相続という。丹波地域では、アトツギ・アトトリ・ヨツギなどと称して家の長男(アニ・アニキと言う)が相続人となることが多い。これを「所帯を譲る」と言う。次男は養子に行くことの他、京都・大阪方面に奉公に出た。赤熊では、アトツギは長男とは限らない。養子縁組のあった時は、伊勢講(たとえば日下部講)で講員になったことを披露する。これをウイトウと言う。神前では、アトツギで所帯(全部)を渡し終わると、親はインキョハンになる。男子のいない場合、長女が婿をもらう前にアトツギを行う。犬飼では、養子をもらう場合、知り合いのある地域よりもらう。またアトツギの時期は家によりいろいろだが、社会に耐えられるようになれば行う。
隠居
長男が家を相続(アトトリ)したら、親はインキョスルと言う。赤熊では、息子夫婦が適当と認めた時、ハナレ(別棟)にインキョする。特に時期は決まっていない。犬甘野では、親が61歳になった時にインキョする。
分家
次男が結婚などを機に、同じ村内で別居する場合、ブンケ・インキョと言う。犬甘野では、親が兄をアトトリさせ、弟を外(大阪など)へやるのがいやな時、その村内に家を建ててやる。兄方をオモヤ、弟方をインキョと呼ぶ。田が1町あれば、そのうちの3反位を弟がもらう。犬飼でも分家した方をインキョと言うが、一代目からは、寺との付き合いは無い。財産のある家は、分家に田・山などの三分の一位を渡す。赤熊でも同様だが、財産分けについては、余裕のある家でないとなかなか出来ないという。
同族集団
同族集団とは、民俗学の説明によれば「家を単位として共通の祖先をもつ本家分家関係によって結ばれた集団」のこととある。また「共通の神(同族神、祖先神などであることが多い)の祭祀をし、寺・墓地・宗派、正月・盆などの年中行事を共同にするなど多面的な機能をもつ」とも説明されている。東日本などでマキと呼ばれ、イットウ・ジルイ・カプなどの呼び名が一般的である。 丹波地方では、カブウチ・カブチなどと言う。神前では、祝い事や葬式の時、カブウチが中心メンバーとなる・。その他、オヒマチの時や、田植えの手伝いの時にも協力する。森(70軒)、人見(3O軒)、小林、山内、山口等のカプウチがある。赤熊では、イツコウ(5つ講)と呼ぶ。日下部講、高向講、中川講で伊勢講を行い、この各講のことをカブチとも呼ぶ。犬甘野では、カプウチ(カブ・ウチウラとも言う)の中で葬式があった時、中心になって世話をするが、その他には深い付き合いは無い。カブが少ない家は、分家をさせてカブウチを作った。犬飼でも葬式の準備について、カブ(ウチウラ・イットウとも言う)が主体となって取り仕切る。その他、結婚式の時、災害があったときなど助け合う。鳥羽では、田村・今西等のカブウチがあり、葬式の時の手伝いをする。
擬制的親子
日本では、実の親子でないものが、頼み頼まれて親子の約束を結び、家族に準じる交わりをなす習俗が広く行われている。こういった関係を擬制的親子関係と言う。 犬飼では、ナコウドオヤ(仲人親)といって、仲人をしてもらった夫婦がコ(子)となる。ナコウドオヤが亡くなった時、コとなったものは、墓の穴ほりをした。親子関係とは言いがたいが、神前・赤熊では、42歳の厄年に生んだ子は、箕あるいはムシロの上に赤子をのせ、道の辻に捨てる。事前に頼んである人、カブウチか親戚の女性に拾ってもらう。それ以後の関係はこの場合特別には無いようである。
年齢集団
年齢集団とは、民俗学では、年齢または世代によって構成員の資格が規定される社会集団のことを言う。具体的には、子供組、若者組、娘組、中老、年寄組などと言われるものがそれにあたる。中でも最も一般的にみられるものが若者組である。
15歳頃の成年式時から婚姻まで、あるいは30~40歳代の青壮年で構成されるこの集団は、村の労働集団、もしくは自治機関の一環としての機能を有するが故に、重要な存在意義を認められていた。この丹波地方では若衆組、青年団、青年会などと称していた。 神前では、男子16歳(高等小学校卒業後)になれば、青年会に加入する。青年会長が役員となり、区有山の植林の手入れ、盆踊りの準備、その他村の勤労奉仕を行っていた。宿として、会所(公民館)が使われた。脱退は、25歳。青年会の名称は、大正期に使われていたが、それ以前は、若い衆組と呼ばれ、また、昭和20年以降(戦後)は、青年団と呼ばれるようになった。なお、女子の集団として処女会があり、16歳から嫁入りまで加入し、青年会と一緒に盆踊りなどしていた。 赤熊でも、男子15歳から26歳(26歳までに結婚した時は、その時点)までの間、若衆組(若連中ともいう)に加入し、盆踊りの準備、雨乞い(注)、湯立て行事の際の奉納相撲などを行った。女子も1
5歳から結婚するまで処女会に所属した。明治末、若衆組が青年団と名称を変更した時、同時に女子の集団として処女会が結成され昭和初期まで続いた。 犬甘野でも、15歳から25歳の間、青年会に加入した。任務として共有山の草刈り、神社の掃除、盆踊りの音頭とりがある。同じく犬飼でも、15、6歳から25歳の間、青年会に加入する。防火防水の任務の他、盆おどり、秋祭りの神輿担ぎがあり、毎年春には旅行に行った。烏羽では、信友会との名称で、秋祭り(10/21)の準備などをおこなった。ここの加入は、他と同じく男子16歳からではあるが、脱退は30歳であった。
(注)雨乞い行事について 赤熊は、水が少ない所で、ひやけの時には、雨乞いをした。村中の各家から代表(おもに主人)が集まり、神社にて祈願した後、手に松明を持ち、夕方の7時頃から半国山に登る。同時刻、若衆組は公民館のひさしに掛かっているつり鐘を音羽川の音羽の滝(半国山登山道途中にある)に持っていき、滝つぼの中へ投げ入れる。半国山上では、松明の他、各家で用意した千束柴を集め、火を点ける。雨が降りだしたら、若衆組はつり鐘を滝つぼから取り出す。
信仰的講集団
ムラには講と呼ばれる信仰的集団がある。それは大きく2つに分けることができる。一つは、特定の神社・寺院(主にムラの外にある有名な社寺など)に対する崇敬者の団体ともいうべきもので、伊勢講、愛宕講、行者(大峰)講などがある。もう一つは、ムラの中の特定の神仏に対する信仰者でつくられている講がある。山の神・田の神などの講や、お日待ち講などである。これらの講員の家を宿として集まり、祈願した後に、一同で飲食して楽しくすごすのである。ムラの中にはこのような講がいくつもみられる。それぞれの講で加入者は違う場合もあり、一軒でいくつもの講に加入することがふつうである。
<伊勢講> 赤熊では、各姓の集まり毎に講がある。これをイッコウと呼ぶ。日下部講が3つ、高向講、中川講の5つの講がある。講によっては、田・山を共有しているところもある。1月11日、各家の戸主(男性)が集まる(以前は、6・12月にも集まった)。講の代表をコーヤ(講親)と呼ぶ。任期は4年である。4年に1度、全員で伊勢参りをする。通常は、代表の者が代わってお参りをする。その際、村に残る者が杉の屋形を造り、ろうそくを灯して無事帰るよう祈願した。この送り迎えは、お宮さんの一の鳥居で行う。 犬甘野では、日は決まっていないが、正月・4月・6月・9月・10月にあり、4年に一度お伊勢まいりにいく。村内には、上の講・下の講・若い衆講・大屋講・北講・清水講・大年講の7つの講があり、各講に掛け軸がある。犬飼でも正月・5月・9月の6日・11日・16日のいずれの日かに当番の家で酒を飲む。鳥羽では、毎年代表が伊勢にまいり、正月11日に当番の家でかしわを食べる。
<愛宕講> 犬飼では、毎年5月はじめ愛宕さんへ参る。当番になった家(宿)で御幣を祀って酒を飲む。犬甘野では。旧暦の4月8日(高い山に登る日といわれている)に行う。垣内(区域)ごとに4講あり、各講ごとに常夜灯がある。初めての子供は愛宕さんに連れて参る。鳥羽は4月18日に行うが、1月6日に愛宕さん参りをして、総代が樒(シキビ)と御札を配る。神前は5月8日にそろって愛宕さんに参る。その日の夜をサンヤマチ(三夜待)という。
<行者講>犬飼では、5月8日~9月3日の間に、奈良県の大峰山に登る。男子は17・8才になれば、誰でも行かねばならず、それによって一人前と言われるようになる。行者講の集まりは、1月7日、5月7日、9月7日にあり、ご詠歌をうたい、そのあとゴマス(酒のこと)を飲み宴会をする。講にはほら貝と掛け軸がある。 神前では、行者まいりといって、8月の終わり頃、大峰山へ参る。前の日、神社で3回水をかぶり、その夜は社務所にこもる。家で寝ると身をけがすと言う。次の日、朝早く出発する。嫁さんが妊娠中の者は行けない。
<その他の講>犬飼では、お彼岸・盆に各家から女姓(特に年配の女性)が集まり念仏をあげる。これを念仏講という。神前では、9月8日、60歳をすぎた女性が寺へ集まって念仏をあげる。これを観音講と言う。その他、神前では、天神講・豆講・十日講・稲荷講などがあり、農繁期を除き定期的に集まり、食事をしたり世間話をしたりした。