今から5年前の秋のことです。1学年上の職員Nさんのお誘いで、京都府と大学等が連携して行うモデルフォレスト事業が行われる南丹市美山町へ行くことになりました。私一人だけ行くというのもさびしいので、その年に入った同じ課の新人女子職員のYさんと一緒にいくことにしました。モデルフォレスト事業とは、その名前からも想像できるよう、森を守る、森を育てる、地域を活性化する、といった目的の事業で、下草刈り、植樹、枯れ木伐採、シイタケ菌の打ち込み、マキの切り出し等々、いろいろな山の作業を地元の方、京都府職員、そして大学学生と教職員が協力して行なうものです。屋外作業が主となるので、雨天なら中止することもありますし、小雨でも滑ったりすると危険な作業なので作業範囲も限定的になります。なので、晴れてほしいですし、精一杯体動かした後のおにぎり(地元の年配女性の方々が作ってくれます)の美味しいこと。 新人の女の子は、天気を心配する私達の気持ちに応えるように、誘った翌日、紙製のテルテル坊主を作ってきて、しばらく職場に飾っておりました。そして当日、しっかりと晴れて仕事日和となり、昼休みには美味しいおにぎりをほおばったのはいうまでもありません。そして、この美山のイベントが終わって、職場に飾っていたテルテル坊主、かわいく作ってあるので、こっそり私の机の奥にしまいこんでいました。 それから3年経った年度末、私は人事異動で大学附属の幼稚園(大学の場所からは離れた右京区広沢にあります)に行くことになりました。身の回りの私物や机の中を整理していると、3年前に飾っていたテルテル坊主が出てきました。机の中で疲れた表情を浮かべておりましたので、ここは私と一緒に広沢の職場に異動していくことにしました。幼稚園では、しばらく机の上などに飾っていたのですが、そのうちパソコンのモニターの裏側へまわり、物の陰に隠れ、沈み、日の目をみないこととなり、私もその存在を忘れてしまっていました。 この3月、退職が決まり、机の上やパソコンを掃除していた時、ホコリまみれのテルテル坊主を発見しました。久しぶりでした。ホコリもかぶっていますし、紙製ですから色褪せも出てきています。普通ならそのままゴミ箱にポイねというところなんでしょうが、私は6年前に、新人の職員が天気を願って作ってくれたことが嬉しくて、その気持ちをゴミ箱に捨ててしまうようなことはしたくないと思い、ホコリを払い、少しウェットティッシュで汚れを拭きとり、自宅行きの私物の入った紙袋に入れました。今、私の書斎には、そのテルテル坊主が、しっかりと見える場所に飾られています。 話は前後しますが、私が幼稚園に行くまでは、園の行事(屋外で行なう行事)、ことごとく雨にたたられ、雨天中止やら順延やら・・・・それが、私が幼稚園に行ってからというもの、お天気続き。昨年の秋の運動会では、台風が接近する中、午前中もつか雨降るかと前日からヤキモキの中、当日、すっかり秋晴れとなりました。園児の演技や走りに参加者は日焼けさえしながら無事に終えられましたのです。幼稚園主事をしていた私は、最後に閉会の辞を述べなければいけないのですが、これといった言葉が出てこなかったので、一言「お天気さん、ありがとー!!」と叫んでみました(たったのそれだけ、何の薀蓄も無い言葉ですが天候を心配していた教職員、保護者の耳にはよく届いたのでしょう)。で、この年の幼稚園の流行語大賞となりました(と勝手に思っています)。 よく考えれば、それも、このテルテル坊主さんのおかげなのでは、と今更ながら思います。
年が改まって最初の投稿は、フェイスブックに掲載した内容です。...
1年の過ぎるのは早いなぁ、そして桜が見られるこの時期、今日満開になったかと思ったら、もう散り始め、こちらも早い早い。職場近く、広沢池の桜も今が旬です。
ほぼ1ヶ月投稿しないままに新しい年を迎えました。(数は少ないとは思いますが)このブログを見ていただいているであろう皆様方におかれましては、新年あけましておめでとうございます。今年も、ぼちぼち更新しますので、引き続きよろしくおねがいします。...
血糖値を上げないよう、毎日、チャンスがあれば歩いています。電車も、極力座らずに立ってます。昼休みは、食後、20分程度は、歩きます。北方面なら鷹ヶ峰、西方面なら藁天神(マクドナルドで昼食する場合)あたり、南方面なら千本鞍馬口(餃子の王将で昼食する場合)まで、東方面なら大徳寺・船岡山という定番コースがあります。そんなコースの他に、職場内(キャンパス内)にも、お気に入りのコースがあります。新棟の5階から、南方向を見られる場所があって京都タワーが望めます。そして7号館の5階、外側の階段踊り場から、ちょうど北山~東山連峰が望めます。ここの眺めは、絶景です。4月から職場が右京区の広沢池あたりになるので、見られなくなるのは残念です。この写真は、何枚か撮ったスマホの写真を、グーグルのクラウドが自動で加工してくれたパノラマ写真です。
昨日、京都縦貫道路を通って、万博公園までどれくらいで行けるかためしてみようと、現在自然文化園にて開催されているバラ園に行ってきました。亀岡からは、さすがに高速道路のみで吹田ICを下りれば、万博の間近まで行けるので、これまでの川西~池田を通る一般道路に比べると30分程度は短縮されるような感じでした(その分高速料金は必要になるのですけど)。そして、いつものように万博パビリオンに立ち寄り、そのあとバラ園に向かいました。が、残念なことにバラ園のバラは、大半が旬を過ぎていて、中には枯れかかっているものもありました。この写真は、それらの中でも比較的、粋(いき)のいいバラです。 そこそこ見まわした後、その隣にある「みんぱく」へ行きました。こんなによく通うなら、年間パスポートにしようか、と思ったのですが、3000円の設定に少し躊躇し、とりあえず通常の入場券(430円)で入りました(年間8回も行くかなぁ、という微妙な設定です)。前回は、10分の1の民家模型を集中的に見学・撮影したのでが、この日は、同じアジア日本エリアの「まつり」関係をじっくりと鑑賞しました。それなりに手ごたえのある時間を過ごしました。
1990年、大阪鶴見緑地で「国際花と緑の博覧会(通称・花博)」が開催されました。今からちょうど20年前のことでした。閉幕後も緑地公園として残り、テーマパークだった「さくやこのはな館」やシンボルタワーの「いのちの塔」はそのまま残され、今に至っています。当時、長男が2歳の誕生日を迎えた際、見学の記念にと、シンボルタワーに家族の写真とメッセージを残す事業に参加したのです。いくらかの賛助金を納付すれば、その「いのちの塔」にメッセージが永久保存されるということでした。ただそのことを忘れていたわけではないのですが、かれこれ20年、あっという間に過ぎてしまいました。それで思いついたのと、あと、緑地公園なら撮影の被写体(花やら施設やら)には困らないだろうと思い、デジカメさげて行ってきました。花や公園の写真をたくさん撮って、で、「いのちの塔」へ、と思っていたら、その塔は数年前より閉鎖されて、いのちの塔の会員(メッセージ残した人)は、公園管理事務所へ行ってください、とのことでした。その管理事務所は?と、それがなかなか分かりにくい場所にあって、ぐるぐると「水の館」のまわりを回って、やっと鉄扉に小さい紙が貼りつけた管理事務所がありました。そこで女性事務員の方にプリントサービスの機械(まぁプリクラみたいなの)を操作してもらい、400円を投入して、しばらくすると、ハガキ大のメッセージカードが出てきました。書いた内容などすっかり忘れていましたが、まぁ、懐かしい写真とメッセージに、少し気分が高まりました。帰りのJR京橋駅で生ビール2杯も飲んで気分よく帰りました。
昨日に続き、本日も田植えをしました。といっても我が家の田んぼではなく、京都府南丹市美山町にある大学のコミュニティキャンパスとして借り受けている水田の田植えです。学生さんと一緒に楽しく田植えをしてきました。 帰りは河鹿荘でひと風呂浴びて、かやぶきの里に少し立ち寄りました。 写真は、そのかやぶき集落。
太田家3代目の私は、初代太田常松さんの孫になります。常松さんは、同じ村の太田家(本家)からの分家で、大工さんで、事業家だったそうです(残念なことに私の父親が小学生のときに亡くなりました・昭和10年代)。大工でしたので近隣の村々のうち、特に資産家の家をたくさん建てました(一部はまだ現存しています)。また町の自治会館(木造2階・現存)、小学校講堂(今はない)などを設計、施工したそうです。 分家ではありますが、家と田んぼがあります。それで2代目(親父)、3代目(私)も米作りをしていて、本日は田植えをしました。昔は、すべて手で植えていましたが、今は「田植え機」に乗って、スイスイと植えてしまいます。人だけで2日間ほどかかるところ、機械でやれば半日で終わります。 ただ半日で終わるといっても、機械の操作は退屈です。それでいつも作業の際は音楽を聴きながらやっています。今日はSONYウォークマン(Xシリーズ:最上位機種)を聴きながら作業しました。田植えしながらシカゴブルースやJAZZを高音質、ハイクオリティーで聴いている人、あんまりいないでしょうね。
僕の生まれは亀岡市の西部地域です。ふるさとは、と問われれば、今の実家の地域を指すことになりますが、小さいころの、という言葉が付くと、もうひとつのふるさとを思い浮かべます。同じ亀岡市ではありますが、やや北西に位置する旭町というところです。...